江戸と昭和の名残をとどめる百人町界隈の風景
2017-01-10|名古屋(Nagoya)

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
名古屋市東区に百人町という町名の町がある。東京新宿の百人町が伊賀組百人鉄砲隊の屋敷があったことから名付けられたように、名古屋の場合も百人組同心の住宅があったことからそう呼ばれるようになった。
名古屋城から見て東に3キロほどいったところだ。より名古屋城に近い白壁・橦木町には禄高三百石クラスの中級武士の屋敷があり、百人町には禄高百石ほどの下級武士の屋敷が集まっていた。
少し北にある徳川園は、尾張藩二代藩主の光友が隠居所として建てた大曽根屋敷があった場所だ。
この場所に武家屋敷が集められたのは、東西の飯田街道と南北の善光寺街道が交差するあたりで、主に防衛を目的としていたとされている。わざと十字路をずらす枡形の道も現在にとどめている。
名古屋城の城下町は名古屋城築城の際に作られた碁盤目状の人工の町だ。現在は城の南が官庁街に、東が住宅街になっている。
名古屋の街は東京に比べて下町と呼べるようなところがわずかしか残ってない。主な要因は、名古屋大空襲だ。あまり一般的には知られていないことだけど、名古屋の街は建物面積の4割を空襲で失っている。戦前まで国宝だった名古屋城天守も焼夷弾で焼かれて燃え落ちた。
そんな中、百人町の一帯は空襲で焼けずに残ったため、わずかながら下町の風情をとどめている。戦後に区画整理の対象にならなかったのか、いまどき珍しく家と家との間の細い路地など残っている。江戸時代の建物などはさすがにないものの、昭和をとどめるという点では名古屋でも貴重なエリアとなっている。
以前に一度、隣の黒門町を歩いて写真を撮ったことがある。
黒門町あたりの風景
西隣の筒井町も昭和の色合いをとどめる商店街だ。
時代に取り残された昭和の温もり ---筒井町商店街










名古屋城から東へ、名古屋市役所、愛知県庁、名古屋市市政資料館を通って白壁、橦木町、建中寺、筒井町商店街を抜け、黒門町、百人町を歩くというのは、なかなかな魅力的なコースだと思う。県外の方も、名古屋の方も、チャンスがあれば一度訪れてみてください。
【アクセス】
・地下鉄桜通線「車道駅」から徒歩約13分。
・JR中央本線「千種駅」から徒歩約18分。
・駐車場 なし
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