今年も森孝八劔神社へ初詣に行く

神社仏閣(Shrines and temples)
森孝八剱神社一の鳥居

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 今年の初詣は1月7日の松の内最終日に森孝八劔神社(もりたかやつるぎじんじゃ)でぎりぎりセーフ。初詣をどこの神社にしようか迷って、結局一番近所にしたのは去年と同じパターンだ。去年は大森八劔神社とのはしご初詣だった。
 松の内というのは、門松や松飾りを出しておく期間のことで、この間は家に年神様がいるとされる。その間に初詣をして、年賀状も書き終えておくのがいいといわれる。江戸時代にそういうことにしておこうと決まったらしい。
 ところで初詣の習慣が一般化したのはいつのことか知っているだろうか。なんとなく江戸時代くらいからじゃないのと思っている人も多いかもしれないけど、実際は明治時代の中頃からといわれている。伝統行事と呼ぶには少し新しすぎるかもしれない。それ以前は家長が大晦日から年明けにかけて土地の氏神を祀る神社に籠もる習慣があったのだとか。
 なにはともあれ、これで正月も終わったなと感じた。



八剱神社

 森孝の八剱神社は、大森八剱神社から、江戸時代後期の1826年に勧請して建てられたとされる。
 大森八剱神社は歴史が古く、平安遷都の前年、793年にこの地を支配していた豪族の山田連によって創建されたと伝わっている。
 その地は大森北八劔というのだけど、それが現在の地名でいうとどのあたりのことなのかちょっと分からない。その後、1796年に矢田川と天神川の合流地点、大森中ノ町田に移されたという。大森中央公園に石碑が残っているからそのあたりではないかと考えられている。現在地に移されたのは1927年(昭和2年)のことだった。矢田川も昔は何度も氾濫していたようだ。
 現在も町名として残る八剣は、八劔神社から来ているものと思われる。八劔神社の名前は、熱田神宮の別宮、八剣宮(はっけんぐう)に由来するというのだけど定かではない。
 別宮というのは本宮に次ぐ格式のある宮のことで、八剣宮は708年、熱田の剣をあらたに鋳造したときに創建された神社だという。「延喜式」には「愛智郡八剣神社」とある。
 大森八劔神社が八剣宮から直接勧請したとはいえないかもしれない。祀られている祭神が違う。八剣宮は熱田神宮本宮と同じ、熱田大神(あつたのおおかみ)、アマテラス、スサノオ、ヤマトタケル、ミヤズヒメ、タケイナダネに対し、大森八劔神社ではスサノオ、ヤマトタケル、天火明命(アメノホアカリ)を祀っている。スサノオとヤマトタケルは共通としても、勧請というなら熱田大神(あつたのおおかみ)は外せないのではないか。
 アメノホアカリは尾張氏の始祖とされていて、ニニギの兄とされる天孫系の神だ。尾張氏ゆかりの真清田神社尾張戸神社(おわりべじんじゃ)などで祀られている。山田連も尾張氏の一族ということで一緒に祀ったのか、あるいは中世の大森城主・尾関氏が祀ったとも考えられている。
 森孝八劔神社ではアメノホアカリが抜けて、スサノオとヤマトタケルが祀られている。

 全国的に見ると、八劔(八剣、八剱)神社は岐阜県に多い。ヤマトタケルが伊吹山で戦って負けたことと無関係ではなさそうだ。
 愛知県では一宮市に多い。東京や千葉あたりにも何社かるようだけど、関東以北にはないようだ。南は九州の福岡県に集中している。
 出雲や山陰地方にはほとんどないようだから、八岐大蛇とは関係ないのか。
 総本社がどこかは不明。発祥はどこなのだろう。名前は同じでも由来は別なのかもしれない。



八剱神社境内




八剱神社参道




八剱神社拝殿

 2008年に訪れたときは、拝殿がまだ古い木造のものだった。去年久々に行ってみると拝殿が真新しい白いコンクリート造になっていた。2010年に建て替えたらしい。
 以前、拝殿の横あたりにあった境内社が見当たらなかった。どこかに移したのだろうか。
 古い記録には御嶽社にオオナヌシとスクナヒコナを祀っているとあるから、その社が以前あった境内社だろうか。本殿横の社は津島社ではないかという。



八剱神社拝殿斜めから




八剱神社鎮守の森

 去年2016年に神社の公式webができて、ブログも書かれるようになったらしい。
 結婚式も行われるようだ。
 1月17日には左義長がある。
 例大祭は10月10日で、もち投げもあるそうだ。

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「藤が丘駅」から徒歩約45分。
 ・名鉄バス「三軒家停留所」から徒歩約4分。
 ・拝観時間 終日
 ・駐車場 なし(路上)
 
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