洲崎神社は名古屋最古のルーツを持つ神社かもしれない

神社仏閣(Shrines and temples)
洲崎神社外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 大須の北西、堀川と若宮大通が交わるあたりに洲崎神社(すさきじんじゃ)はある。
 名古屋の人間からすると、かつてはこのすぐ前が海だったとはちょっと信じられないと思う。現在はかなり内陸になっていて、名古屋港までは直線距離で8キロ以上ある。けど、洲崎神社の洲崎というのは、海や川に長く突き出て岬のようになった所のことだから、実際そういう地形のところに神社はあったのだろう。
 この神社、もしかしたら名古屋最古のルーツを持つといっていい神社かもしれない。
 洲崎神社の隣に石神を祀る石神神社があり、こちらがもともとあった古い方だ。この石神というのが縄文時代以来の神を祀る文字通り石の神なんだそうだ。
 この石に宿っているのは、布都御魂(ふつみたま)であり、道祖神なのだという。
 布都御魂というのは『古事記』『日本書紀』に登場する霊剣で、タケミカヅチ(建御雷神)がこの剣で葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定したのち、神武天皇が東征で苦戦していたときに高倉下(たかくらじ)が持参して手渡し戦に勝利し、大和平定を成し遂げることになる。その後、物部氏などの祖とされるウマシマジ(宇摩志麻治命)が宮中で祀っていたのを伊香色謎命(いかがしこめのみこと)が石上神宮に移して御神体としたとされる。
 道祖神として祀られているのは、サルタヒコ(猿田彦命)とアメノウズメ(天鈿女命)という。
 いつこの石がここに祀られるようになったのかは分からない。ただ、伝承レベルにしても名古屋でここまで古いルーツを持つ神社は他にないんじゃないだろうか。創建1900年という熱田神宮でさえ景行天皇の時代で、実際には遡っても4世紀くらいではないかといわれている。
 洲崎神社の創建はわりとはっきりしているようで、平安時代前期の貞観年間(859年から877年)とされている。石神が出雲からスサノオを呼んでこの地に遷座されたという。このあたりには古くから出雲系の人たちが移り住んでいたという話もある。
 創建時は、現在の栄一丁目全域くらいが神社の境内だったというから、相当広い。白川公園の2.5倍くらいの面積だ。
 名古屋城築城の際、境内の西が堀川の掘削で削られ、境内に武家屋敷などが建てられて一気に小さく狭くなってしまった。
 現在は多くの建物に取り囲まれて街中にこそっと入り込んだような格好になっている。



洲崎神社入り口




洲崎神社参道から拝殿へ




洲崎神社拝殿

 スサノオの他、イナダヒメ(稲田姫神 スサノオが八岐大蛇を退治したときに救い妻となった姫)と五男三女神が祀られている。
 五男三女神は、スサノオとアマテラスの誓約から生まれた五柱の男神と三柱の女神の総称で、八王子と呼ばれることもある。
 このたりの経緯はよく分からない。明治45年(1912年)に石神神社を合祀したときなのか、それ以前なのか。
 江戸時代にはスサノオの神社としてすっかり定着していたようで、広井天王や牛頭天王と呼ばれていたそうだ。
 提灯祭りがよく知られていて、江戸時代中期の徳川宗春はもっと派手にやるようにと命じて、たくさんの提灯をつけたまきわら船を堀川に浮かべたという。愛知県津島市で現在も行われている津島天王祭と同じような祭りが名古屋城下でもあったのだ。
 現在は、7月第3土曜日とその翌日に境内に提灯を飾る提灯祭が行われている。



洲崎神社白龍社

 白龍社。



洲崎神社絵馬

 SKE48の松井珠理奈が境内でPVの撮影をしたとかで、その関係の絵馬がたくさんかかっているらしい。訪れたときには知らなかったことのなのでこのときは気づいていない。



洲崎神社境内社

 境内社として泰産社、秋葉社、住吉社などがある。



洲崎神社道祖神額




洲崎神社道祖神の石神




洲崎神社跡地

 江戸時代にはこのたりに天王崎湊があり、尾張藩の御船手役所があった。さらに遡ると廣井城があったのもこのあたりだという。

 縁結びに御利益がある神社ということは帰ってきてから知った。小さな鳥居を腹ばいでくぐったり、なにやら特別な参拝方法があるらしい。近くまで行くことがあれば再訪して確かめることにしよう。
 
【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「大須観音駅」下車。徒歩約10分。
 ・駐車場 無し
 
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