
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm
もうずいぶん前のことになるけど大須の神社巡りをしたことがあった。調べてみたら2008年のことだ。
大須では目立たない脇役の神社にもそれぞれの歴史がある
そのとき三輪神社をひとつ見落としていて、あらためて行かなければいけないと思って出向くまでに8年もかかってしまった。
大須にある他の神社同様小さなものを想像していたら思った以上に立派だった。騒然とした大須の街の中にあって、ここの一角だけが違う空気に包まれてしんとしている。鎮まっているというのはこういうことなのだと思った。
矢場町交差点から大津通を南下して、赤門北交差点と赤門交差点の間の細い路地を西へ入っていったところにその神社はある。かつては広い境内を有していたと思われるけど、江戸時代と比べれば何分の一かに縮小されているのだろう。
戦国時代後期の1570年頃、奈良県の桜井から牧氏がこの地に移ってきて小林城を築いた。その際、大神神社(おおみわじんじゃ)から三輪山の神を勧請して祀ったのが三輪神社の始まりとされている。
牧氏は、尾張守護職・斯波氏と姻戚関係にあり、長義は織田信秀の妹と結婚し、息子の長清は信長の妹おとくの方を正室に迎えるなど、織田家との結びつきも強かった。
小林城は三輪神社の少し北東、矢場町交差点南東にある清浄寺あたりにあったと考えられている。街中ということもあって遺構は残っていない。
かつてこのあたりは前津と呼ばれていた。名前の通り目の前に津、つまり海があったことからそう名付けられた。今では考えられないことだけど江戸時代はこのあたりは海辺の土地だった。上前津などの地名に痕跡を残すのみとなっている。
この神社の特徴のひとつに三輪鳥居(三ツ鳥居)が挙げられる。
狛犬と重なって写真では分かりづらいけど、明神鳥居の両脇に小さな明神鳥居がくっついている様式だ。全国的に見てもこの鳥居は珍しいようだ。
本家の大神神社ももちろんこの形式で、強い結界を意味するとも言われている。
訪れたとき、若い女性の参拝客が次々にやってきて何事だろうと思った。まさかこぞって三輪鳥居を見に来たわけでもあるまいといぶかりつつ中に入っていてなるほどそういうことかと納得することになる。


ディズニーランドより、USJより、普通に神社が好き、という女の人もいるにはいるだろうけど、一般的に女性が神社を訪れる第一の目的は縁結びということだろうと想像する。昨今のパワースポットブームも拍車をかけているだろう。
三輪神社は現在、女性が宮司をしているということで、さまざまな仕掛けというとちょっと言葉が悪いかもしれないけど、女心をくすぐるようなあれこれが用意されていて訪れる参拝客を楽しませてくれる。
拝殿向かって右手に写っているのは、なでうさぎだ。なでると御利益があるとか。ピカピカで新しいところをみるとここ数年以内に新築されたものだろう。
何故ウサギかといえば、ここで祀られているオオモノヌシに関係がある。
大物主(オオモノヌシ)と大国主(オオクニヌシ)と大己貴(オオナムチ)の関係性について書き始めると長くなるので今回は省略することにして、一般的にオオモノヌシとオオクニヌシは同一神ということになっている。オオナムチもそうだ。オオクニヌシといえば出雲大社で祀られている神で、因幡の白兎の話がよく知られている。つまりはそういうことだ。
けっこう強引にウサギを持ってきたなという印象ではあるけれど、訪れる人が喜んでなでているのだから罪はない。



矢場町という町名は消えてしまったものの、交差点名や駅名としては残っている。それは三輪神社に矢場があったことから来ている。
江戸時代前期、関ヶ原も遠い過去になり、世の中が平和になると武士はやることがなくなった。それでも武士たるもの日々の鍛錬は欠かせない。ただ、刀で斬り合うわけにもいかず、弓矢が流行った。弓は武士のたしなみでもあった。
京都の三十三間堂(蓮華王院本堂)では夜通し矢を射続ける通し矢というのが盛んに行われていた。
三代将軍家光の時代の1643年、江戸の浅草に蓮華王院を模した江戸三十三間堂と矢場が作られた。矢場というのは弓矢の訓練所のようなものだ。尾張藩もこれにならい、1668年、三輪神社の境内に矢場を設け、尾張藩士たちはここで矢の訓練に励んでいたという。
矢場町は戦後の区画整理で町名が消え、現在は大須と栄に分かれている。とはいえ、名古屋の人間なら矢場町と聞けばだいたいあのあたりと思い浮かぶんじゃないだろうか。矢場とんのあるあたりでしょ、と。地名の由来が大須の三輪神社にあった矢場から来ていることを知っている人はあまり多くないだろうけど。

赤い紐に結ばれた五円玉をご神木のクスノキに結ぶことで縁結びの願掛けとしているようだ。こういうちょっとした参加型のイベントがあると参拝が楽しくなる。いろいろこの神社は上手いなと思わせる。

クスノキの樹齢は450年ほどという。
もう1本あったご神木は、昭和34年の伊勢湾台風で倒れてしまったのだとか。
1986年に尾根村の村長から送られた薄墨桜の木もある。

稲荷社自体はどこの神社にもあるものだけど、ここの稲荷社は矢場に関係があるようだ。江戸三十三間堂で矢場の守り神として矢崎稲荷神社が創建されたように、三輪神社の矢場に置かれたのがこの稲荷社だったということだろう。
その他、猿田彦社を合祀した幸宮社(さちのみやしゃ)と白龍社がある。


これでやっと大須の主立った神社を巡り終えたことになる。ずいぶん長い時間がかかってしまった。とりあえず気分としてはすっきりした。
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