
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm
名古屋市東区を自転車で巡っているとあちこちで須佐之男関係の小さな神社を見かける。古出来から徳川町あたりにかけてのエリアだ。少し気になったので調べてみたところ、山車が練り歩く出来町天王祭がこれらの須佐之男神社の祭礼で、東区内に3つの須佐之男神社があることが分かった。それなら一度全部まとめて巡り直してみようと思い立って写真を撮りにいってきた。
3つの神社はそれぞれ、東之切、中之切、西之切と呼ばれているようだ。
まずは古出来町交差点から南西に1本入った通りにある東之切の須佐之男神社から。
どの須佐之男神社も、創建は江戸時代中頃のようだ。疫病が流行ったときに津島神社あたりから牛頭天王(ごずてんのう)を勧請して祀ったのが始まりではないかと推測される。江戸時代は神仏習合の時代で、牛頭天王とスサノオは同一視されていたから、須佐之男神社という名前にしたのだろう。それなら天王社でも、津島社でもよかったのだから、最初からスサノオを勧請して祀ったということだろうか。
東区のこのあたりは、名古屋城から見て3キロほど東になり、主に中級、下級武士の屋敷が集まっていた。百人町などの地名にその名残をとどめている。少し北にある徳川園は、尾張藩2代藩主徳川光友の隠居所だった大曽根御屋敷があった場所だ。そういった武士階級にとってスサノオというのは近しくて頼りになる神様だったのかもしれない。
向かって右手に写っているのは、山車をしまっておく山車蔵だ。3つの神社がそれぞれ山車を1輌ずつ持っていて、毎年6月の第1土曜日、日曜日の例祭日に町内を練り歩く。
近くの筒井町にも2輌の山車があって、5輌の山車が徳川園に集結する様子はテレビのニュースでよくやっている。
私はまだ見たことがないので、来年はチャンスがあれば撮ってみようかと考えている。



同じ通りを西へ160メートルほど行ったところに中之切の須佐之男神社がある。
神社の規模としてはよく似たものだ。隣には同じく山車蔵がある。



1本北の広い出来町通に出て西へ進み、徳川園を過ぎてちょっと行ったところに西之切の須佐之男神社がある。
かつては新出来二丁目にあったそうで、区画整理で現在の徳川町に移されたようだ。他の2社は雑然としているのに対して、こちらは整然とした印象を受けるのはそのためだろう。



山口町交差点から東へ少しいったところにも須佐之男神社らしき社がある。民家と民家の間の狭い空間にこそっと入り込むようにしてある小さな社は、神社と呼ぶには少し規模が小さすぎる。石柱には須佐之男命とある。
なんでも、もともと屋根の上に乗っていた屋根神様だったのを降ろしてこの地に移してきたのだとか。
屋根神様というと、西区那古野の四間道のものがよく知られている。瀬戸市や岐阜県多治見市でも見たことがある。
筒井町天王祭の山車は、建中寺と情妙寺の須佐之男社の祭礼だそうで、建中寺の須佐之男社は見たことがあるけど、情妙寺は知らない。あらためて出向いていって写真を撮ることにしたい。
東区はスサノオが守る町だということを知った今回だった。