印場の良福寺に弘法像を撮りにいく

神社仏閣(Shrines and temples)
良福寺外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm



 尾張旭市の印場にある良福寺。尾張旭方面への行き帰りに何度となく前を通っているのに、これまで一度も中に入ったことがなかった。今回行く気になったのは、尾張三大弘法のうちのひとつがここにあることを知ったからだった。あとのふたつは、尾張旭の退養寺と、守山区の小幡緑地本園北にあって、それぞれ以前に紹介したことがある。
 そんなわけでちょっとお邪魔してきた。



山門

 山門は清洲城の裏門を移築したものと伝わっている。
 あちこち修理はされているものの、基本的な部分は当時のままのようだ。
 もしかすると、清洲城で使っていた木材を譲り受けて、それを山門として作り直したということかもしれない。


良福寺本堂

 創建は古く、平安時代後期に土岐氏が建立して、無翁和尚が開山したという。尾張旭市内で最古のお寺とされている。
 土岐氏が保護をしたあとを受けて信長も400貫文を寄与したという。更に信長の次男・信雄も寺領を与えたというから、織田家も大事にしたということだろう。清洲城の門を譲り受けたという話も信憑性がある。
 しかし、秀吉の太閤検地で所領を取り上げられて勢いを失い、小牧長久手の戦いでは戦火に巻き込まれて全焼している。
 江戸時代に入って、尾張藩初代藩主・徳川義直の命によって槐山和尚(かいざん)が中興する。



本堂前の枯れハス




白壁に映る木々のシルエット




境内奥へ続く参道

 本堂の右手に参道が続いていて、尾張弘法はそこを進んだ奥にある。



水鏡




小さな祠




尾張弘法

 尾張三大弘法第弐番開運大師。
 退養寺は浅野祥雲(あさのしょううん)、小幡緑地は花井探嶺(はないたんれい)。では良福寺の弘法さんは誰が作ったのだろう。完成時期は昭和6年というから3体ともほぼ同じ時期だ。一見して地味な印象で、浅野祥雲とも花井探嶺とも違うように思う。そもそもこれはコンクリート像ではなく石像かもしれない。



卍と苔




尾張弘法像




お堂




欅だったかな

 ひとつ残っていた尾張三大弘法を撮ることができて気分的にすっきりした。他の2ヶ所に比べると地味な印象は否めないけど、三大といわれたら逃すわけにはいかない。良福寺に入るきっかけを与えてくれただけでもよかった。
 弘法前の参道脇にはモミジの木が何本か植えてある。紅葉の季節に寄れたらまた寄りたい。
 
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