写真ノート<34> ---結果を求める

写真ノート(Photo note)
宵の明治村ステージ

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



「結果を出す」、「自分らしい試合をする」、「もっと上を目指す」。スポーツの世界でよく使われる言葉だ。これを写真に当てはめるとどうだろう。「写真で結果を出す」、「自分らしい写真を撮る」、「もっといい写真を目指す」。写真もまた、結果を求めるものだと私は考えている。過程は過程で大切だとしても。
 言うまでもなく人によって目指すべきものは違うし、写真に求めるものも人それぞれだ。それぞれが自分の思うように写真を撮ればいいわけだけど、自分らしい写真を撮ってそれを結果につなげられている人がどれくらいいるだろう。そもそもでいえば、本気で自分の写真と向き合っている人間がどれくらいいるかという話だ。
 たとえ写真を仕事にしている人でも、自分が撮りたい写真を撮って、世間から評価されて、それで生活が成り立っている人間はごく一部だ。カメラマンという職業についている人なら、仕事で撮っている写真がそのまま自分の撮りたい写真であることはまずないだろう。
 アマチュアならどうだろうか。ひとつ、明確なものとしてフォトコンがある。あれは結果が分かりやすい。ただ、フォトコンをやっている人なら誰もが陥ることに、入選のための写真を撮ることが主目的になってしまうということがある。自分では意識していないつもりでも、フォトコンをやっていればフォトコンのための写真を撮ってしまう。土門拳はそれを、「月例作家の卑しい主題漁り」と戒めた。
 私たちは、結果を出すとはどういうことか、自分らしい写真を撮ることの意味は何なのかを、もう一度よく考えてみる必要があるんじゃないだろうか。

 趣味の写真は自分のために撮る。自己満足が最大の目的だ。しかし、ネットにしろ紙面にしろ発表することを前提に撮っているのだとしたら、本当にそれだけでいいのだろうか。見てくれる人の気持ちなどは考える必要がないのか? 人が求めている写真と自分が撮りたい写真が完全に一致することはないにしても、誰かのために撮るという姿勢や方向性がなければならないと思うのだ。
 フォトコンをやっていない人なら、写真を供するということがどういうことかを今一度自分に問いかけた方がいい。自分の写真が世のため人のために役立っているのか否か。役立っていれば価値があるし、役立っていなければ価値がない。本当に無価値な写真などないのかもしれないけど、あまりにも無自覚にばらまかれている写真が多すぎるように感じる。趣味で撮っているだけというなら、個人的なアルバムに収めて自分や近しい人たちだけで楽しむべきだ。
 フォトコンにしても、入選することはいいこととして、それが広く世間に公表されて注目されることを考えれば、人に与える影響というものを考えて応募する必要がありはしないだろうか。フォトコンの入選作で世界を変えるなどといったら大げさとしても、少なくとも、選者受けを狙ったものではなく、本当にいいものを出していかないといけないのではないか。
 入選しやすい写真の傾向やテーマというものは確かにある。選者の好みに合わせて応募写真を変えていくという戦法をとったりすることもあるだろう。入れば嬉しいし、撮り続ける原動力にもなる。ただ、そこで満足してしまえばその先はない。
 その入選作は本当に自分が撮りたいものなのか? その作品で世界を変えるというくらいの意気込みはあるのか? 自分の写真を追求するということは、高みを目指すということだ。それはフォトコンに入選する程度のものではないはずだ。
 フォトコンの入選作にしろ、ブログやSNS、写真投稿サイトの写真にしろ、私はもっともっとすごいのが見てみたい。これだけネットに写真があふれかえる時代でも、まだまだ写真には多くの可能性が残されていると信じている。
 世界の絶景だとか、練り込んだイメージ写真とか、そんなものが見たいわけではない。真に心を揺さぶられる本物の写真が見たいのだ。
 本物の写真を撮ること、写真で結果を出すということを考えたとき、それ以外のことはないのではないか。

 もはやいい写真を撮ることは一部のプロ写真家だけの役割ではなくなった。SNSやブログに写真を載せるだけでも、それは写真界の一翼を担っているという自覚が必要だ。自分が下手な写真を出してしまえば、写真界全体の質を下げてしまうことになる。逆に言えば、たかがブログの写真でも、プロを超えるすごい写真を出してしまっていいということだ。アマチュアがアマチュアらしく下手でよかった時代は終わった。その写真にお金が発生するとかしないとかはまた別のことだ。
 写真に関わる人間全員で写真界の質はもっともっと上げられる。写真をやっている人間ならいい写真を撮りたいと思うと同時にいい写真を見たいと願っているはずだ。
 いい写真というのは、単純に言ってしまえば、見る人間の心を動かす写真だ。ネット時代の今、それに付け加えるとしたら、人の心を動かし、足を運ばせ、シャッターを切らせる写真、と言うことができる。
 自分は誰かのために写真を撮っているわけじゃないとあなたは言うかもしれない。けれど、実際に自分の写真の向こう側には大勢の人がいて、多かれ少なかれ自分の写真が誰かに影響を与えてしまっているのだ。そうことについて思いを巡らせることが大切だ。
 写真は結果がすべてではないと人は言うだろうか。だとしても、写真がもたらす結果をおろそかにしていいはずがないと私は思う。結果は求めなくてはいけないものだ。
 スポーツ選手たちはよくこんなことも言う。「自分ひとりの力だけはここまで来られなかった。支えてくれた人たちに感謝したい」と。撮り手が感謝すべき対象はやはり被写体ということになるだろう。写真は被写体に対する恩返しでもある。
 
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