安産祈願ではない天白塩竈神社参拝

神社仏閣(Shrines and temples)
塩竈神社鳥居

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 天白区の塩釜口南にある塩竈神社(しおがまじんじゃ)は、安産祈願の神社として名古屋ではよく知られているようだ。休日と戌の日が重なったりすると、100台ある駐車場がいっぱいになって駐車待ちの列ができるんだとか。
 私はその存在さえ知らず、たまたま天白区の神社めぐりをしているときに見つけて立ち寄ったのだった。
 このあたりは低い山が集まった土地で、この神社もとんでもない坂道の途中にある。自転車ではとても登れるような坂ではない。パワーのないスクーターなどは途中で止まってしまうんじゃないかというほどだ。むしろ、下りが怖い。



閉まる門

 ふらりと立ち寄ったのは夕方の4時くらいだった。階段を上がり、閉まった門の前でしばし呆然とたたずむことになる。
 午前9時から午後3時? 横に回って見るも、ここ以外に入り口は見当たらない。マジか、と思わず言葉づかいが乱れた。
 午後3時で閉まってしまう神社など、見たことも聞いたこともない。本気とは思えないけどどうやら本当らしい。あきらめて帰ることにした。



参道の石段

 しばらくあと、もう一度天白へ行く機会ができたので今度こそはと2時くらいに行ってみた。



白龍神社




開いた門

 大丈夫だった。今度は門が開いていた。



塩竈神社拝殿

 鹽竈神社と表記する宮城県塩竈市の神社は全国的に有名なようだ。現在は志波彦神社(しわひこじんじゃ)と鹽竈神社の二社が一緒に鎮座しているそうで、志波彦神社も式内社、鹽竈神社は式外社ながら陸奥国一宮ということで格式が高い。東北の人たちにとってはなじみ深い神社なのだろう。本家も当然ながら安産の神様としてよく知られてるようだ。
 天白の塩竈神社は、江戸時代後期の1845年前後に、この地方の豪農だった山田善兵衛が鹽竈神社から勧請して祀ったのが始まりとされている。
 現在のような社殿が建てられたのは明治15年(1882年)10月のことだった。
 かつて音聞山(おとききやま)と呼ばれたこの地は、古くから眺めのいい場所として知られた名古屋の景勝地だった。今は周囲に高い建物が増えてしまって視界は悪くなっているものの、昔は遠く熱田あたりまでよく見渡せたという。

 祭神は、鹽土老翁神(シオツチノオジ)という神だ(本家の神社ではタケミカヅチとフツヌシが一緒に祀られている)。『古事記』や『日本書紀』に詳しい人なら、海幸彦・山幸彦の話に出てきたあの神様かと思い出すだろうか。兄から借りた釣り針を魚に取られて困っている山幸彦に、舟に乗って綿津見神宮(わたつみのかみのみや)へ行けばいいんじゃないの的なアドバイスをしたあの神様だ。ニニギの天孫降臨のときなどにも登場する。
 知恵の神、導きの神という性格で、戦の神、海の神でもある。
 高天原から地上に降りたタケミカヅチとフツヌシを導いて陸奥国を平定したあと、その地にとどまったシオツチノオジを祀ったのが宮城の鹽竈神社とされている。名前に塩が入っているのは、土地の人たちに塩作りの方法を教えたからという説がある。
 あるいは、シオは潮、つまり潮流を司る神ともされており、安産の神というのはここから来ている。潮の満ち引きを支配する神は子供の出産にも影響大ということから安産の神ということになっていったらしいのだ。

 創建が江戸時代後期ということで、歴史はそれほどない。ただ、東京日本橋にある水天宮も安産祈願の神社として有名だけど、あちらの創建も1818年とそう変わらない。水天宮の本家は、福岡県久留米市だ。
 この神社は、安産祈祷に特化していて、それ以外の参拝者はあまり相手にしていないようなところがある。午後3時に門を閉めてしまうのもそういうことだ。お賽銭をちまちま集めなくてもお金は入ってくる。
 地下鉄名城線の塩釜口駅の名前がこの神社から来ていることを今回初めて知った。この駅前の大学に行っていたくせに。



絵馬




少し離れて見る塩竈神社全景




神社裏の坂道

 神社は音聞山あらため御幸山の中腹に建てられている。神社横の坂を登っていくと山頂付近に御幸山公園がある。せっかくなのでそちらまで歩いてみることにした。



明治天皇御野立所

 御幸山公園に「明治天皇八事御野立所」の碑が建っている。
 1890年(明治23年)に、この地で陸軍の大演習が行われ、明治天皇がここで統監したことを記念して建てられたものだ。
 このことがきっかけで、山の名前が音聞山から御幸山(みゆきやま)へと変えられたのだった。一部、地名として音聞山の表記は残されている。



御統監之所

 もうひとつ、御統監之所の碑もある。
 大正天皇も1913年(大正2年)に陸軍特別大演習が行われた際、この場所で統監したのだった。
 この当時は、日本各地で陸軍の大規模な演習が行われて、天皇がそれを見て回るということが公式行事として行われていた。大正時代のときは、南を流れる天白川で演習が行われたというから、けっこう距離はある。高いところから見下ろすにはこの場所が最適だったのだろう。

 名古屋で安産祈祷をしてもらう神社としては他に、熱田神宮や城山八幡宮などがある。お産の軽い犬にあやかろうと伊奴神社(いぬじんじゃ)でという人もいるようだ。
 
記事タイトルとURLをコピーする
コメント
コメント投稿

トラックバック