
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
神社めぐりや近所の散策をしている中で、メインどころではない寺社仏閣の写真を撮ることもよくある。そういう写真は一回分のネタになることはないので在庫としてたまっていくだけで、なかなか使いどころを見いだせずにいた。そこで、一度まとめて出してしまうことにした。春先に撮ったものもあるので、季節感はちょっとずれている。
まずは大永寺から。
場所は、JR中央本線・新守山駅の少し北東で、大永寺町という地名はこのお寺から来ている。
創建は1190年というから、なかなかの古刹だ。
ところで、我々の世代は「いいくにつくろう鎌倉幕府」と習ったから、鎌倉時代の始まりは1192年と信じて疑っていない。しかし、近年の研究によって鎌倉時代の始まりは1185年というのが定説とされているようなのだ。源頼朝が征夷大将軍に任命されたのが1192年で、守護地頭を設置する権利を認められたのが1185年ということで、実質的な鎌倉幕府の始まりは1185年になるのだとか。今の学校ではそう教えているらしい。そもそも、私たちがよく知っている源頼朝とされる肖像画も、実は別人という説が有力視されているというから驚く。教科書も毎年のように書き換えられているから、歴史の一般常識とされていることも疑ってかかる必要がありそうだ。
大永寺はもともと小幡に山田重忠が創建した寿昌院が始まりとされる。1521年に末裔の岡田重頼が再興して大永寺と名をあらためる。
しかし、戦火で消失。1617年に岡田善同が名古屋城築城の際に余った木材をもらってきて現在地に再建した。
お堂は鐘楼をのぞいて平成8年に改築されている。
かつてこのあたりに大永寺城があったといわれているけど、資料も遺構は残っておらず、場所は特定されていない。

守山区の竜泉寺近くにある強巴林(チャンバリン)。
かつては日本唯一のチベット仏教寺院を自称していたのだけど、最近は日本初の本格的なチベット仏教寺院と言いあらためている。どこかからクレームが入ったのかもしれない。
とにかくユニークな存在の寺院であることは確かなので、お近くの方はぜひ自身の目で確かめ、体験されることをおすすめしたい。
名古屋のチベット守山区は正真正銘日本のチベットだった

千種区覚王山の日泰寺の中なのか外なのか微妙なところにある小さなお社。眞清田弘法大師というそうなのだけど、詳しいことはよく分からない。近くにあるはずの山神社を探していたときにたまたま見つけた。
日泰寺はタイからお釈迦様の仏舎利を贈られたときに建てられた寺院(明治37年)なので、神仏習合の歴史はない。
かつて真清田神社に祀られていた御神体を、明治の神仏分離令を受けてこちらに移したのだとか。
隣には龍関係の神様も祀られている。
山神社はこのとき、結局見つけられなかった。


尾張旭をうろついていたときに出会ったささやかな御嶽神社。
駐車スペースのような場所の隅っこの方にあった。

元山之神社と彫られた石柱があったところをみると、かつてはちゃんとした境内を持つ神社だったのかもしれない。
尾張旭を適当にぶらついているときにたまたま見つけたところなので、もう一度行けと言われても場所が分からない。

梅が咲いていた頃の上野天満宮。
ここの前はよく通るものの、中まで入っていって参拝するのは年に一度か二度だ。でも、外から眺めるのはけっこう好きだ。

春日井の鳥居松町にある柏井稲荷神社。
立派な朱塗りの鳥居がある。
しかし、門が閉まっていて中に入れない。

柏井稲荷の隣にある慈眼寺。
慈眼寺というと、東京都豊島区にある同名の神社を思い出す。芥川龍之介の墓があるお寺だ。
はじめ小牧にあったものを江戸時代中期にこの地に移したそうだ。

守山区の瀬戸街道沿いにある小さな社。
朱塗りの見た目からして津島神社か天王神社だろう。
小幡のあたりだったと思うけどはっきり覚えていない。

瀬戸市の水野にある金峰大神社。
民家の庭のような空き地のような場所に居候のように置かせてもらっているといった風情だ。
御嶽神社と同じく御嶽山信仰の神社だと思う。

本地ヶ原神社はこれまで何度か訪れている。
こんなところにあったのか本地ヶ原神社---尾張旭神社巡り5弾
神社仏閣こぼれ写真は、今後シリーズ化していくことになりそうだ。
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