丸山神明社を訪ねる

神社仏閣(Shrines and temples)
丸山神明社外観

OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4



 覚王山の中心部から南西に進んだ住宅街の中にある丸山神明社。訪れるのは今回が初めてだった。
 それなりに境内も広くて立派だ。こんな住宅地の中まで入ってくることがないから、これまで存在すら知らなかった。地図を見ているときに見つけて、じゃあ行ってみようということになった。
 神明社に関してはいつも書くことがあまりない。祭神はアマテラスに決まっているし、創建にまつわる謎もこれといってないことが多い。鎌倉最古の神社とされる 甘縄神明神社の創建は710年と飛び抜けて古いけど、たいていの神明神社は江戸時代の創建だ。お伊勢参りのブームに乗って日本各地で神明神社が建てられた。
 伊勢の神宮はもともとは天皇家の氏神で、一般庶民や武士なども参拝することは禁止されていた。平安時代の末期あたりから少しずつ一般にも開かれるようになり、室町時代に入って南北朝時代の混乱で神宮がお金に困って一般の信者を集める必要に応じたことからだんだんなし崩し的に開放されていったという経緯がある。
 そういう事情を考えたとき、丸山神明社の元亀・天正年間(1570年~1593年)創建というのは、わりと古い方と言える。時代でいうと、室町時代が事実上終了して、信長秀吉の安土桃山時代に入ったあたりだ。戦国時代のまっただ中、誰がどういう理由でこの地にアマテラスを祀ることを思いついたのか、そのあたりが気になるといえばなる。
 ネットの情報で、近くにあった末盛城の守護神とされ、信長の父であり末盛城城主だった織田信秀もよく参拝に訪れたという話が出てくる。ただ、もし創建が本当に1570年以降だとするなら、その話は年代が合わない。信秀が末盛城を築城したのは1548年で、信秀は1551年に死んでいる。
 それに、末盛城は近いといっても直線距離で1.5キロ近く離れている。城の守りとするにはやや遠すぎるように思える。そもそも、当時の武将にお城をアマテラスに守ってもらおうという発想はなかったはずだ。
 いずれにしてもこの神社はたぶん庶民の神社だ。有力者が建てたようなお宮ではないと思う。



拝殿社殿




斜め横から




天神さん




木霊社

 木霊社というのは他ではあまり見ない。文字通りなら木の霊を祀っているということだろうか。社の後ろのクスノキが特別なご神木なのかどうか。
 木霊神社というと奈良県吉野の丹生川上神社などを思い浮かべる人もいるかもしれない。



奉納額




稲荷社の鳥居




西日と境内社




末社




木の神宮鳥居

 毎月1と6がつく日に野菜などを売る朝市が開かれるそうだ。神社というのは、参拝のための場というだけでなく、人々が集まる社交場としての役割も果たしていた。だから、市が開かれたりするのは本来の姿といってもいい。子供たちが遊び場にするのももちろん大丈夫だ。いろいろな神社を巡っているけど、人が訪れない神社ほど寂しいものはない。
 
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