
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
写真はセレクトに始まりセレクトに終わる。セレクトこそが写真行為の本質であり、意識的であろうと無意識であろうとセレクトの連続で写真は成立している。
写真は無から有を生み出すことはできない。選ぶことしかできない悲しさと、選ぶことの楽しさがあり、選択の限界がある。写真をやる人間は徹頭徹尾、セレクトから逃れることができない。
まずは何をどこで撮るかを考え、使うカメラやレンズを決め、どの季節のどの時間帯のどんな光で撮るかに思いを巡らせ、どの瞬間にシャッターを押すかを決断する。撮った写真のどれを選び、過不足ないレタッチで仕上げ、どんな紙でどんなふうにプリントするかを考え、最終的に何を自分の写真として表に出すかを決定しなければならない。あるいは、何を捨てるかを。
要するに写真のよしあしや上手い下手はセレクト能力にかかっているということだ。写真は真っ白なキャンバスに絵の具を塗って頭の中のイメージを形にする絵画とは根本的に違う。目の前にある現実を選んで撮るだけだ。イメージ写真でさえ、現実の変形にすぎない。
セレクトとはつまりセンスや才能ではないのかといってしまうと身も蓋もない。写真に関しては必ずしもそうではないところに救いがある。勉強と実践の積み重ねでどうにかなるのが写真のいいところだ。
何を選ぶかは何を選ばないかでもある。何を選び取り、何を捨てるか。たいていの場合、撮った写真の一部しか使わない。デジタル時代になってからは特にそうだ。数百枚撮って使うのは一枚か二枚なんてこともある。フィルム時代以上にセレクト力が重要になってきているのは間違いない。
初心者とベテランの一番の違いは、選ぶ力にあるといっていい。
たとえば、初心者とベテランが同じ場所、同じカメラでそれぞれ100枚撮ってその写真を互いに交換して、いいと思う写真を3枚選んでフォトコンに応募したとする。たぶん、初心者が撮った写真をベテランが選んだものが入選して、その逆は入選しないのではないか。誰でもいいのは撮れる。問題はいいのを的確に選び取れるかどうかなのだ。
初心者のうちは何がいい写真なのか本当のところが分からない。中堅、ベテランになってくるとそれが分かるようになる。何故その写真がいいのか、この写真のどこが駄目なのか、それが分かれば最初からいいのが撮れるようになるし、分からなければ撮ることはできない。
セレクト力を高めるにはどうすればいいかといえば、それはもう撮影を重ねるしかないわけだけど、プロの写真家の写真集をたくさん見ることが一番の早道だと私は思う。ハイアマチュアの写真はあまり見ない方がいいというのが私の持論だ。上手いアマチュアの写真に変に影響を受けてしまうと自分の写真を見失いがちになるから。それも通過しなければいけないことといえばそうなのかもしれないけれど。
セレクト力を上げるためのもうひとつの方法論として、フォトコンの応募がある。下手だから自分には早いなどと思わず、下手だからフォトコンをやると考えた方がいい。
自分でセレクトできないならセレクト能力の高い人に選んでもらえばいいという発想だ。それは答えを教えてもらうようでずるいと思うかもしれないけれど、大丈夫、最初のうちは答えを教えてもらってもその意味が分からないから。自分ではいいと思うものが入らず、たいしたことがないと思うものが入ったりするから戸惑うけど、その境界線を読み解く力をつけるためにこそフォトコン応募の意義があるといっていい。選ばれた他人の写真の中にではなく、落とされた自分の写真の中にこそヒントがある。
何故選ばれるのか、あるいはどうして選ばれないのか、それが分かるようになればセレクト力がついたということだ。プロの目も当てにならないなどと侮ってはいけない。彼らは何十年にもわたっていい写真と駄目な写真を山ほど見ているのだ。個人の好みがあるにしても、基本的な部分での選択眼に狂いはない。
フォトコンの最終的な目的は、年度賞をとることでも、賞金稼ぎをすることでもなく、フォトコンから卒業することだ。選ばれる写真があらかじめ分かっていればそれを人に教えてもらう必要はない。
フォトコンに関してもう少し補足しておくと、単写真で入選するようになったらぜひ組写真にも挑戦すべきということだ。
たいてい三枚組か四枚組でひとつの作品とするのが組写真なのだけど、三枚と四枚では組み方が違ってくるから、できれば両方やった方がいいと思う。三枚の場合は遊びの余裕がないから、一枚目の導入、二枚目で転換させて、三枚目で落ちをつけるといった方向性になるし、四枚組なら起承転結のような形が一般的なものとなる。
私自身まだ手探りなので偉そうなことはいえないのだけど、同じ主題を繰り返すなというのはよく言われることだ。私も何度かそれを指摘されたことがある。並列的に並べるのではなく、複合的に組み合わせることで主題が膨らんでいくのが組写真というものだということを頭では分かっている。実際に組み合わせるのは難しい。
組写真の先にあるのが写真集だ。前にも書いたけど私個人は写真集を帰着点と考えているので、とにかく写真集へ向かって写真を撮っているというのがあるし、写真集作りは絶対やった方がいいと人にもすすめたい。写真行為のセレクトの集大成が写真集だから。
写真に無限の可能性があるとは思っていない。ただ、無限に近いくらいの組み合わせはあるかもしれない。
写真は小さな差が結果的に大きな差となって表れてくるものだ。だからこそディテールが大事になってくる。少しでもポイントを外すとすべてが台無しになってしまう。0コンマ何秒かの遅れが決定的瞬間を逃すこともあるし、最後のプリントの段階で用紙の選択を誤って傑作写真が駄目になってしまうことだってある。
的確なセレクトを積み上げていくことでいい写真が生まれる。ひとつの選択もおろそかにしてはいけないのだ。