
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
ご近所神社めぐりシリーズ。今回は少し遠出をして春日井市へ。市の北西部、上田楽町( かみたらがちょう)にある伊多波刀神社(いたはとじんじゃ)へ出向いていった。小牧空港から見て4キロほど北東に位置している。
通りから少し入ったところにあって、たどり着くまでに少し迷った。町屋町交差点を北へ進んだところにある鷹来小学校が目印となる。
参道入り口の南鳥居前から自転車を降りて歩いて向かったら参道がすごく長いので途中で引き返して、奥の二の鳥居まで自転車で行った。ここの参道だけで300メートル近くある。
参道の両脇には桜の木が植えられている。ここの桜トンネルは春日井市の桜名所のひとつだそうだ。このときは2月下旬で、まだ桜には遠かった。

境内の空気がピリッとしている。とても男前な神社だなと思った。すごくいい感じだ。




社伝によると、景行天皇の時代の112年創建とされているようだけど、そこまで古くはないにしても平安時代にはすでにあったことは間違いなく、『延喜式神名帳』に載っている式内社だ。
主祭神は、高牟神社で祀られることが多いタカミムスビ(高皇産霊尊)とされる。となると、ここらあたりは尾張物部氏の支配地だったということだろうか。
この伊多波刀神社はその後、八幡社としての性格を濃くしていく。ホムタワケ(誉田別尊/応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、玉依姫命(タマヨリビメ)を祀るようになったのは中世以前だろうか、以降だろうか。
源頼朝が武運を願って朱印地と甲冑を寄進したり、信長が社領を寄進したりしている。
平安時代末期に編さんされた尾張国の『国内神名帳』には、板鳩天神とある。板に鳩の絵を描いて奉納したことからそう呼ばれるようになったという説があり、鳩といえば八幡神の使いだ。ということは、早い段階から八幡神信仰があったということになるのかもしれない。室町時代以降は八幡宮とされていたと考えられる。
神宮寺の常念寺は明治になって廃寺となったようで、名称も伊多波刀神社に戻されて現在に至っている。

現在の社殿がいつ再建されたものかはちょっと調べがつかなかった。明治といえば明治のようにも思えるし、昭和といえば昭和かもしれない。門などはかなり古そうだ。

参道入り口にある天照大神社、豊受神社の他、津島社、熊野社、秋葉社、白山社、熱田社、愛宕社、多度社、山王社など、全部で14の境内社があるようだ。
それぞれ、明治以降に近くの神社から集められて合祀された。



江戸時代に刊行された『尾張名所図会』に流鏑馬のことが出ている。明治になるまで盛んに流鏑馬が行われていたという。
現在は簡略化されて、武者に扮した前厄の男が射的などを行う他、獅子舞や神輿なども出るそうだ。祭りは、10月に開催されている。

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