
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
大事なのは、何を撮るかよりもむしろ、いつ撮るかということだ。
撮るべきは、状況ではなく瞬間だ。連続する時間のどの部分でシャッターを押すか、それにすべてがかかっている。
常にベストのタイミングでジャストミートできるわけはない。ただ、どのタイミングで押せばいいかを分かっているのといないのとでは大違いで、写真は結果がすべてであっても、結果論で語られるべきものではない。
どんなにいいチャンスも、間違ったタイミングでシャッターを押せばすべてが台無しになってしまう。
想像しうる最高の一瞬を帰結点として、逆算して最初の一歩を決めるというアプローチ方法がある。
分かりやすい例で言えば、ダイヤモンド富士などがそうだ。ある季節の、ある時間帯の、ある条件のもとでしか最高の一瞬は訪れない。そのとき、その場に立ち、その瞬間にシャッターを押せるかどうかにかかっている。
別の例で言えば人を撮る場合。どの瞬間を選択するかによって写真の出来不出来は大きく違ってくる。闇雲に連写しても、本当にいい瞬間を捉えることなどできない。
いい写真を撮る人間というのはつまり、どの瞬間にシャッターを押せばどう写るかが分かっている人間だ。それはもうはっきりしている。たった一秒の差が決定的な差として表れる。
同じカメラ、同じレンズで、同じ被写体を隣で撮っても、上手い人間とそうでない人間とでは違う写真になる。条件が同じなのに写真の違いが出るのは、要するに瞬間を掴まえられるかどうかということだ。それ以前に見極められるかどうかに他ならない。
それは動いている動物や乗り物でも、止まっている風景や草花でも同じだ。止まっているものに決定的瞬間がないと思っているようでは決定的瞬間など撮れるはずもない。
もうひとつ、距離の問題がある。
写真を撮っている人の様子を見れば、いい写真を撮っているかそうじゃないかはだいたい分かる。よくない人の共通点は、立ち止まったままファインダーをのぞいてズームレンズのリングをぐるぐる回しながら撮っている。それでは被写体との呼吸を合わせられない。被写体との距離感をないがしろにしていては、被写体がこちらの思いに応えてくれるとは思えない。
完璧な瞬間が一瞬しかないように、完璧な距離感というのも一点しかない。それは撮る以前に、もっといえばファインダーをのぞく以前に決まっている。自分と被写体との距離やレンズの画角によってあらかじめ決まっていて、動かしようがない。
写真を撮るということは見るということであり、決めるということだ。カメラを構える前に頭の中で完成していなければならない。
シャッターを押すという行為は、100パーセントのうちの最後の仕上げの1パーセントのようなもので、カメラを構えてファインダーをのぞいてシャッターを切るのは1秒か2秒もあれば事足りる。そこに時間がかかるとしたら、それは距離と瞬間が見極められていないということだ。
撮り手が確信を持ってシャッターを押していない写真は弱い。上手く撮れていたとしても、どこか説得力に欠ける。
もちろん、撮る写真のすべてにおいて常に距離と瞬間があらかじめ分かるものではない。ふいに訪れたチャンスに反応してラフに撮ることも少なくない。ただ、日頃からそのことを意識しておくことはとても大事なことだ。
いつでも、距離と瞬間を探り当てようとしなければいけない。そのためにはやはり、日常的に単焦点レンズを使うのがいいと思う。画角さえ把握できていれば、あとは距離と瞬間を合わせるだけだ。
被写体と自分との位置関係で50mmならこの範囲が入ると頭に入っていれば、余計なことを考えずに目の前のシャッターチャンスに集中できる。ズームレンズで画角を考えるとどうしてもワンテンポ反応が遅れる。三脚に立ててじっくり風景を狙うときなどは別としても。
「いいのが撮れないとしたらそれは近づいていないからさ」とは、ロバートキャパの有名な言葉だ。けど、それは本質を突いていると同時にキャパ特有のユーモアとはぐらかしでもある。距離の問題はそんなに単純なものではない。
土門拳は舞台下でかぶりつくように被写体に迫りながら撮り、木村伊兵衛は透明人間のように舞台に上がって舞台の上から舞台を撮った。そのどちかが正解というわけではない。
遠すぎるのは論外としても、近づけば近づくほどいいというわけではない。状況によって最適な距離というものがある。
距離感というのは本当に大切なことなのだ。頭の中で構図を整えることよりも、自分と被写体との距離が構図を決めると思っておいた方がいい。距離感が被写体との関係を表し、それは写真を見る人間に伝わる。距離感によって被写体を生かしも殺しもする。
どの距離でどの瞬間に撮るのが正しいのかは一概には言えない。写真は常に一期一会で同じ場面は二度訪れないから、再現性という点での難しさがある。
それでも、そのとき、その場における正解の距離と瞬間というのは必ずある。それはもう、経験で培っていくしかない。誰かに教えてもらえるものではないし、教えられるものでもない。
撮るべき瞬間は一瞬しかない。写真は反射神経勝負でもある。スポーツ選手のように、反射神経や動体視力を鍛えるトレーニングをしてもいいのかもしれない。