いつか白川郷へ行くときのために合掌造りの予習をした 2006年11月25日(土)

建物(Architecture)
東山植物園の合掌造り

OLYMPUS E-1+ZD 14-45mm(f3.5-5.6), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 合唱といえばウィーン少年合唱団、合掌造りといえば白川郷というのはおおむね異存のないところだと思う。更に言えば、少年といえば岸和田少年愚連隊、ウィーンといえばたこさんウィーンナーが好物の渡辺徹、白川といえば白川由美を連想するという人がいるに違いない。たぶん、きっといる。
 白川郷、その響きは果てしなく遠い異国の地を思わせる。愛知県のお隣岐阜県でありながら、その存在は遠いイスカンダル。京都や大阪よりもずっと遠く感じる。たぶん、高速を使っていけば名古屋から2時間半くらいなのだろうけど、むしろ自分の中では遠い憧れの地としてとどめておきたいような気持ちもある。行って見てしまえば、こんなものかと少しでも失望してしまうのが嫌で。現在、東海北陸自動車道が白川郷まで延長工事をしている。何年かしたら、もっと便利になって行きやすくなる。けれど、何か違うような気がする。世界遺産なんかにせずに、ずっと陸の孤島のようにしておいて欲しかったと思ってしまう。そんなものは部外者の勝手なセンチメンタリズムなのだろうけど。

 昔から白川郷の合掌造りといえば、古き良き日本の原風景をとどめた秘境として有名だった。私の子供の頃からすでに観光地になっていたはずだ。それが一躍全国区になったのは、やはり1995年に世界遺産に登録されてからだ。それまで年間の観光客が60万人ほどだったのが、翌年には100万人を超え、今では150万人以上の人が訪れるようになった。単純に割っても、1日に4,000人からの観光客がやって来るという計算になる。村人は2,000人ほどなのに。やっぱりみんな、権威のあるレッテルに弱い。国宝に極端に弱い私も例外ではないのだが。
 白川郷の合掌造りが広く知られるようになったのは、ドイツの建築学者ブルーノ・タウトが、昭和10年(1935年)にこの地を訪れて、『日本美の再発見』で世界に知らせたことが大きかった。それまでは、日本人でさえ一般的にはこの地のことを詳しくは知らなかったのではないかと思う。最も栄えていたとき1,800棟以上あったものが、急激に数を減らし始めている頃でもあった。地域の高齢化や、近代化、ダム建設などで、多くが取り壊されたり、売却されたりしたという。
 1971年(昭和46年)には保存会が発足。「売らない、貸さない、壊さない」を合い言葉に合掌造りの保存活動が本格的に始まった。先細りになる村を救うには、これを観光資源とするしかなかったという事情もあったのだろう。
 現在残ったのは110軒ほど。これでもよくぞ残ったと思う。
 写真のものは、東山植物園にある合掌造りだ。なんでこんなところにこんなものがあるのかと不思議に思った人も多いだろう。どういうツテかは知らないけど、1842年に白川郷で建てられたもので、ダムによって沈んでしまうものを、1956年にこの地に移築したものだ。作り物ではなく本物なので、ありがたみはある。内部もそのまま保存してあって、自由に見学することができる。

合掌造りの干し柿

 合掌造りという名前は、屋根の形が手を合わせて合掌してる様に似ているところから来ている。急勾配の茅葺(かやぶ)き屋根が特徴だ。白川郷のものは、「切妻合掌造り」と呼ばれていて、角度はほぼ60度で正三角形に近い形をしている。この地域は豪雪地帯なので、雪が落ちやすく、重みに耐えられるようにという知恵でこういう格好になった。とんがっているとかわいいから、とかそういう理由ではない。
 建築方法はかなり特殊で複雑だ。説明文を読んでも専門用語だらけでよく分からない。もちろん、手抜き工事など許されない。雪だけでなく強風にも耐えられる作りになっていて、ちょっとやそっとではビクともしない。
 それにしても大きい。近くで見るとその迫力に驚く。とても一軒家のスケール感ではない。ちょっとした3階建てのコーポくらいの大きさがある。写真の人間の小ささでも分かるだろうし、2階から吊してある干し柿がミニチュアサイズに見える。武蔵丸がお茶碗を持つとお猪口に見えるのと同じ現象だ。
 合掌造りのこのスタイルが完成したのは江戸時代中期だと言われている。豊かとは言えなかったこの地で、現金収入を得るためにお蚕(かいこ)さんを屋根裏に飼うスペースを確保するためということでこういう格好になったんだそうだ。白い障子窓はそのときの名残で、蚕たちのために明かり取りとして作られたものだ。2階が狭くなれば3階にも蚕を置かないといけないし、半年は雪だから馬は家の中に入れないといけないというんで、どんどん大きく広い家になっていった。そもそも一族郎党、使用人まで含めて10人20人が住むから、狭い家では暮らせやしないというのもある。
 囲炉裏のあるある大広間、居間、仏間、寝室、台所、馬小屋、稲部屋などが1階にあり、中2階以上は蚕用となる。夜中に大量の蚕たちが葉っぱを食べてるカサカサする音が上から降るように聞こえてくるシーンを想像するとちょっと怖い。蚕にかじられる夢を見そう。
 合掌造りの何が一番大変かといえば、それはもう茅葺き屋根の葺き替作業だ。かつてはカヤにコガヤというものを使っていて、これは80年ほど持ったそうなのだけど、今のススキは30年か40年に一度全面的に葺き替ないといけない。この費用が一番大きな家で2,000万円もするというのだ。これでは維持しきれずに壊したくなった人たちの気持ちも分かる。
 作業も、とてもじゃないけど家族なんかでできるものではない。専門の業者さんもいない。となると村人総出で行うことになる。「結(ゆい)」と呼ばれる協同作業で、一軒につき2日間で仕上げるそうだ。

 白川郷の特徴としては、景観保存地区でありながら生活の場でもあるということだ。自分の家なのに勝手にいじれないし、外を歩けばいつでも観光客が大勢いて、暮らしにくいったらない。もちろん、24時間営業のコンビニやファミレスなどあるはずもない。行儀のいい観光客ばかりじゃないだろうし、外国人もいる。ちゃんと観光用になっている有料の和田家などだけでなく、一般の家屋にまで当然人は入っていくことになる。ここからは入ってはいけないという明確な区分はないだろうから。元々の村の人たちは世界遺産になったことを必ずしも喜んではいないかもしれない。ただ、世界的な保存地区ということで大きな援助が出ているには違いないだろう。そのあたりはいろいろと難しい問題をはらんでいる。
 ところで私は一体行くのかい、行かないのかい、どっちなんだい、と自分の筋肉に訊いてみる。いや、筋肉はあまりないんだけど。行きたい思いは十二分にある。行かないままそっとしておきたい思いもないではない。いつか行くかもしれないし、行かないかもしれない。
 もうあちらではそろそろ雪が降っている頃なんだろう。白い冬の白川郷も見てみたいし、田んぼが青くなった初夏もいい。秋は村全体が秋色に染まって素敵だろうな。
 行くときは、シルクのパジャマに身を包んで、ススキを口にくわえていこうと思う。もしかして、不審者として捕まってしまうだろうか。でも、合掌造りといえば絹糸とススキじゃないですかぁー、と言い訳しながら引きずられている男を白川郷で見かけたら、それはズバリ、私です。
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コメント
  • ウィーン合唱団かよ・・・
    2006/11/26 19:25
    冒頭を読んでいて、何故か冷や汗が出てきたんですけど。。。
    てか徹さんはウィンナーがお好きなのね(笑)知らなかった“φ( ̄ ̄*) メモメモ

    白川郷いいですね~
    最近は道がよくなって行きやすくなりましたよね。
    前回に行ったのはいつだったかな。。一昨年の春くらい(笑)
    丁度、茅葺を変えてるお宅が何件かあって、
    思わぬ情景を目にしてきました。
    どうせなら、綺麗になってから行けばよかったと後悔しましたけど。

    雪の白川郷綺麗でしょうね~
    オオタさん、雪が降ったら行って写真撮ってきてください(笑)
            ↑
           悪魔(≧m≦)ぷっ!
  • 私もきっと白川郷
    2006/11/27 03:50
    ★もこさん

     こんにちは。
     どうしたんですか、ウィーン少年合唱団で怪しい反応。
     もしかして、ファンクラブに入ってるとか?(笑)
     渡辺徹は、夕飯に出てきたウィンナーが赤いやつじゃなくて白いやつだったことで、こんなのはウィンナーじゃい! と怒ってプチ家出をしたことがあります。これもメモしておいてくださいね。

     白川郷、もこさん、行ったことあるんですね。いいなぁ。
     昔はホント、道も通ってないようなところだったけど、自動車道ができて、かなり近くなりましたね。
     2時間半っていうと、ここから伊勢くらいの感じかな。
     茅葺きの葺き替えも見たとは、いいもん見ましたね。
     私もやっぱり一度は行って見ておきたいな。
     でも、雪に埋まってるときはイヤです(笑)。
     来年だなぁ。
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