
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
ご近所神社めぐりシリーズ。今回は守山区にある二つの神明社を紹介します。
最初は村合町にある神明社から。
ゆとりーとラインの川宮の南東、山下公園の東、ピアゴの北にその神社はある。
社殿自体は一般的な南向きながら、入り口は西側のみで、一の鳥居はない。区画整理でなんとか残ったといった風情のたたずまいとなっている。
村社とあるから、かつてはもっと広い境内を持っていたのだろう。
社伝によると、創建は延享元年。1744年だから、江戸中期だ。
八龍社、天神社の他、明治に入って近隣の厳島神社 山神社 津島神社 秋葉社を合祀して現在に至っている。
通りから入ったところにこそっとはまり込むように建っているので、見つけるのにちょっと時間がかかった。訪れる人はあまり多くないと思われる。








もうひとつの神明社は、廿軒家にあるので廿軒家神明社と呼ばれている。
名鉄瀬戸線の守山自衛隊前駅から南へ少し下ったところにある。
最初、裏手に当たる東側から入ってしまって、もう一度南鳥居から入り直した。
裏手には立派な屋敷跡がある。
江戸時代初期、このあたりは犬山城の城主でもあった尾張徳川家附家老、成瀬隼人正成が家康の命を受けて赴任することになる。それが1615年だか1617年だかのことで、配下の同心たちが屋敷に住んでいたという。屋敷跡はその流れをくむものと思われる。
神明社を創建したのは、その成瀬隼人正成とされている。

南側入り口は、廿軒家会館と交番に挟まれている。
南の通りから見ると、神社は小高い丘の上に建っているのが分かる。鉄製の斧などが見つかっていることから、古墳の上に建っているのではないかとも考えられている。
大正時代まではここに川が流れていて、南の石段はなかったそうだ。
もう少し南へ行くと矢田川がある。

かつては白山社とも合祀されていたようで、その頃は馬で駆けるおまんとの行事が盛んに行われていたという。
平成に入ってから守山龍神社が創建されたり、秋葉社や津島社が合祀されたりしている。
社殿はコンクリート造の拝殿と新築木造の本殿が合体するという、ちょっと不思議なスタイルになっている。


守山龍神社は、平成12年(2000年)に清須市の日吉神社から勧請して建てたんだそうだ。
伊勢の神宮が一般庶民に開放されたのは江戸時代に入ってからのことで、神明社が日本各地に創建されるのはその後だ。
現在残っている神明社は全国で5,000ほどで、そのうち愛知県に500社ほどあるようだ。10分の1ということは愛知県は神明社が多い土地柄ということになるだろう。
守山区の神社はまだ残っている。
つづく。
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