
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
名古屋の神社めぐりは続く。
今回は守山区にある小さな二つの神社を紹介したい。
まず最初は、川村町にある社宮司神社からいってみよう。
上の写真に写っているのが神社の全景なのでその小ささが分かると思う。
202号線の川村交差点の北2本目の細い道を西へ入っていったすぐのところにある。202号線の道を隔てた東側にある白沢郵便局が目印になる。
読み方は、「しゃぐうじ」または「しゃぐじ」になるようだけど、どちらかは分からない。名東区には上社という地名があって、そこは「かみやしろ」と読む。だからここも「やしろぐうじ」かと思っていたのだけど、どうやら違うようだ。
あまり馴染みのない神社名ながら、東区などにも同名の神社があり、長野県にある諏訪大社の権宮司・守屋氏と関係がある神社のようだ。
社宮司の他、社軍司、射軍神、社雲神などの表記もあり、長野県ではけっこうなじみのあるお宮なのだとか。

拝殿はなく、本殿も雨ざらしのため、賽銭箱には屋根がつけられている。

由緒書きがあったのか、案内板のようなものだったのか、完全に消えていて何も読めない。
ネットにもほぼ情報がなく、由緒や祭神などは分からなかった。
名古屋にも諏訪神社がいくつかあるのだけど、それとはまた系統が違うのだろう。

境内はけっこう手入れが行き届いているので、お世話をしている人がいるのだろう。


続いてやってきたのは、大永寺町にある熊野社だ。
この西に曹洞宗の大永寺というお寺がある。神社はゆとりーとラインのすぐ西側だ。
もともとは大永寺の中にあったのだろうか。
周囲を建物などに浸食されつつ、かろうじて残ったという格好だ。
大永寺は1190年に山田重忠が小幡に建てた寿昌院が元になった古刹で、1521年に岡田重頼が再興して大永寺と改めるも、戦争で消失。1617年に岡田善同が名古屋城築城のときに残った木材で再建するとともに現在地に移転してきた。
その際に大永寺熊野社も創建されたという。
明治時代には村社だったというから、今よりも広くて立派な神社だったと思われる。
主祭神はイザナギ(伊弉許命)で、境内社として、神明社、八幡社、御塚社、御嶽社、津島社がある。





ご近所神社めぐりは続く。
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