
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
守山区神社めぐりは続く。今回も白山神社だ。
小幡白山神社、西城白山神社につづいて訪れたのは、市場白山神社だった。
名鉄瀬戸線の守山自衛隊前駅と矢田駅の間、瀬戸街道の守山口交差点を北へ入っていたところにある。道が細くて入り組んでいるので、ちょっと分かりづらい。
このあたりはかつて守山城があった場所で、西には森山崩れで命を落とした松平清康(徳川家康の祖父)を弔った誓願寺がある。
住宅地の間にこそっとはまり込んだように残った神社で、広さはないけど奥行きがある。
隣は神社関係の建物だろうか。派手に取り壊し工事をしている最中だった。

神社は守山白山古墳の上に建っている。
古墳と白山神社の組み合わせがよくあるのだけど、やはり偶然ではないのだろう。小幡白山神社もそうだし、春日井の二子山古墳もそうだ。
守山白山古墳は全長95メートルの前方後円墳ということで、名古屋市内で見つかっているものとしてはけっこう大きい部類に入る。
本格的な調査は行われていないため詳しいことは不明ながら、出土した埴輪などから古墳時代前期の4世紀後半から5世紀前半にかけて作られたものと推定されている。
守山区のこのあたりは、守山台地の西の端にあたり、遠い昔はすぐ近くまで海岸線が来ていたと考えられている。
そういうこともあって、古くから人が住んでいた土地だった。古墳も多く見つかっている。
創建は奈良時代前期の720年頃とされる。
加賀国(石川県)の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)から勧請したと伝わっている。
誰が建てたなど、詳しいことは調べがつかなかった。
これだけ大きな古墳に葬られる首長がいたということは、その勢力と無関係ではなさそうだ。




この神社、けっこう好きだなと思った。
特別な何かがあるわけではないけれど、閉じ込められている空気感に親しみを感じた。
鎮守の森が作り出す光と影の光景が美しい。

時代ごとの領主などが修復や再建を行ったと記録に残っている。
南を流れる矢田川の氾濫でたびたび被害にあったほか、濃尾地震(1891年/明治24年)で本殿、拝殿が倒壊。
翌明治25年改築されるも、昭和45年に不審火で消失したという。
現在の社殿はその後に再建されたものだろうか。
旧郷社指定。

境内社は多い。
大正12年にあちこちの神社を集めて合祀したという。





矢田川橋のあたりはたまに通る道だから、また訪れたいと思う。
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