
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
写真は平面ではなく立体だ。
ハサミで切り取るようにではなく、スケッチブックに写し取るようにではなく、スコップで掘り返して持ち帰るように撮らなければならない。
立体化する理由は、その方が物語が生まれやすく、鑑賞者の想像が入り込む余地が生まれるから。
絵と写真は似ているようで違うし、違うようでいて似ている。
三次元の空間を二次元に封じ込めるという意味では同じといっていい。
描かれているもの、写っているものは三次元に違いない。
三次元的空間とはつまり、奥行きだ。
奥行きを意識して撮ると空間的な広がりを持った写真になる。
キーは前景にある。
多くの写真の場合---それは必然的ではあるのだけれど---前景を省略している。
被写体と背景、その奥行き2層で成立している写真が大部分といっていいかもしれない。だから、平面的な感じになってしまう。
被写体を中景とした場合、前景と背景の3層構造にすると写真は立体的になり、奥行きを持つようになる。
前景を脇役にする場合もあるし、前ボケを使ったり、あるいは前景を主役にしてもいい。
歌川広重の名所江戸百景などはいいお手本になる。
いい写真には前景がある。
何も写っていなくても、撮り手の意識がそこある。
大事といえば、背景も非常に重要だ。
たとえるなら背景は舞台だ。被写体は登場人物で、光は照明ということになる。
その3つが揃ったとき初めて人の心に響く物語が生まれる。写真も同じことだ。
背景によって受ける印象は大きく違ってくる。
色であったり、光であったり、写っているものであったり。
写真を撮るときは被写体に対するのと同等かそれ以上に背景に心を配る必要がある。
順番でいうと、まず背景を探すことから始めた方が早い。いい背景さえ見つかればいい写真の条件は整ったようなものだ。
いくらいい被写体を見つけても悪い背景が写真を台無しにしてしまうことがある。
もちろん、いくらいい舞台があっても、そこに主役が不在で何も起きていなければ無人の舞台を撮ったようなつまらない写真になってしまうのだけれど。
写真を整理することは大切だ。
でも、よく言われるように写真は引き算だという教えには共感しない。
写真は省略しすぎてもいけないし、多くの要素を詰め込みすぎてもよくない。
大事なのは、過不足なく入れるべき要素を、しかるべき位置に配置することだ。
自分が撮りたい写真を絵に描くと想像してみる。
空はどんな色で、雲はどれくらい浮かび、太陽はどの場所にあるのか。
主役にどこにいて、何をしているのか。
背景はどこか。何が写っているのか。
写真は絵を描くようにはいかないし、現実はこちらの都合良くはいかない。
それは確かにそうなのだけど、撮りたい絵が頭の中にはっきりないことの言い訳でしかない場合が多い。
現実に対して妥協してしまったら負けなのだ。
絵を作るということは、レタッチソフトで画像をいじくって好みの写真に仕上げるといったようなことではない。
言うなれば自分の撮りたい写真を一度絵に描いて、それを撮りきってみせるといったようなことだ。
現実に対して反応しているうちは撮っているのではなく撮らされているだけだ。
現実を写すということから自分の中にある絵を写すという段階に移ったとき、写真を撮るという行為が自分本位のものになる。
現実より先回りして撮らなければ、写真は絵を越えられない。
さあ、イメージを撮りにいこう。現実に自分を合わせるのではなく。