
琵琶湖の西の湖岸に、近江最古ともいわれる白髭神社(しらひげじんじゃ)がある(地図)。
今年はサルタヒコに縁がある年で、伊勢の猿田彦神社に続いて、サルタヒコを祀る神社を訪れることになった。
ただ、白髭神社を訪れたいと思ったのは、ネットで見た水中に没する鳥居の写真がきっかけだった。海中鳥居としては厳島神社が有名だけど、琵琶湖にそんなものがあるとは知らなかった。
以前、浜名湖の弁天島でも水中鳥居は見たことがあった。
なので、サルタヒコの神社だから行こうと思ったのではなく、鳥居を撮りにいった神社がたまたまサルタヒコの神社だったというわけだ。ある種の導きのようなものを感じる。
それにしても、何故、白髭神社はサルタヒコを祀っているのか?
説明を読んでも、よく分からないというか、納得できない。
猿田彦神社のときに書いたけど、サルタヒコは天孫降臨のニニギを案内して高千穂まで行ったあと、アメノウズメと結婚して故郷の伊勢に戻ってきて腰を落ち着けたのではなかったのか。そのあと、魚をとっているときに貝に噛まれて海で溺れ死んだという話だったはずだ。それがどうして琵琶湖にいるのか。
なんでも、白髭をたくわえたおじいちゃんサルタヒコは、琵琶湖がたいそう気に入って、ここで釣りをして余生を過ごしたとかなんとか。私の知っているつもりだったサルタヒコとはずいぶんイメージが違う。
白髭のおじいさんの伝説は近辺の各地に残っていて、以前訪れた長谷寺や三井寺あたりも関係がありそうだ。


神社の背後には比良山系の山があり、そこで古墳が見つかっている。
かつては比良神や比良明神と呼ばれていたという。もともとは山や自然に対する素朴な信仰が始まりだっただろうか。
それがどうしてサルタヒコを祀るようになったのかという経緯が分からない。
社伝によると、第11代・垂仁天皇の西暦25年にヤマトヒメ(倭姫命)によって社殿が建てられたのが創建という。あるいは、再建ともいう。
ヤマトヒメといえば、アマテラスを祀るために各地をさまよい歩いて最終的に伊勢に神宮を建てたあの皇女(垂仁天皇第4皇女)だ。
山で見つかった古墳がいつの時代のものだったのか、ちょっと分からなかった。古墳時代後期という説もあるようで、だとすれば600年代か。
中腹の古墳の他、山頂には磐座と古墳群があるという。
674年に、天武天皇の勅旨によって比良明神の号をいただいたという話もある。
一方で、新羅や百済との関係も指摘されている。このあたりは半島から移ってきた人たちが多く住んでいたようで、彼ら渡来人が自分たちの祖神を祀ったのが白髭神社の始まりという考えもあるようだ。
もうひとつ分からないのが、それほどの古社にもかかわらず「延喜式」に載っていないということだ。
ただし、901年に完成した『日本三代実録』に、「比良神、865年、無位から従四位下」という記述があり、それが白髭神社を指すというのが定説になっている。
そういう神社のことを、国史見在社という。読んで字の如く、国史に見られる神社という意味だ。国史見在社でありながら「延喜式」に載っていない神社というのはあまりない。
国史というのは六国史(りっこくし)のことで、飛鳥時代から平安時代前期にかけて編さんされた「日本書紀」、「続日本紀」、「日本後紀」、「続日本後紀」、「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」のことをいう。
白髭の表記が最初に登場するのが1280年の比良庄の絵図で、『太平記』にも白鬚明神の名で出てくる。
明神というのは神仏習合の神様で、どこかの時点で白髭明神がサルタヒコに交代したらしい。ただ、いつどういうきっかけでそうなのかが分からないので、なんとなくもやもやする。そもそも、サルタヒコは天狗のモデルとされるような容姿だったはずで、それが白髭のおじいちゃんになったというのはつながらない。
境内社は、大田命を祀った若宮神社の他、内宮の皇大神宮、外宮の豊受大神宮、八幡神社などがあり、古墳の石室前には岩戸社がある。
それらの顔ぶれからしても、長い歳月の間に紆余曲折があったことが想像できる。



本殿は江戸時代初期の1603年、豊臣秀頼によって造営されたもので、国の重要文化財に指定されている。
棟札から、片桐且元が奉行を務めたことが分かっている。
その他、境内にある4社も慶長年間に建てられたものが明治時代に修復されて残っている。

拝殿は明治12年(1879年)に建てられたものだ。

もともとは琵琶湖のほとりに建ってたものが、琵琶湖の水位が上がったことで一の鳥居が水中に没したらしい。深い意味はなかったと知って、ちょっと拍子抜けした。
1280年に描かれた絵図では、鳥居は地上にある。水没したのはその後のことのようだ。
近年は一の鳥居はなくなっていて、水没鳥居の伝説を知った大阪の小西久兵衛という人が昭和12年に個人で寄贈して復活した。
現在のものは、昭和56年(1981年)に再建されたものだ。
鳥居の正面には、神の宿る沖島が見える。沖島の奥津島神社と対岸の大嶋奥津島神社との結びつきを指摘することもできそうだ。

狛犬が神社に置かれるようになるのは、平安時代以降のことで、古い時代の神社には狛犬がなかった。伊勢の神宮にないのもそういうことで、神宮は古来の姿をそのままにしているので狛犬はない。
狛犬は、高麗犬とも書く。高麗は朝鮮半島にあった高麗国のことで、伝わった当時、獅子を見たことがなかった日本人はそれを犬と思って高麗犬と名付けたといわれている。
更にさかのぼれば、インドのライオンがモデルになっている。



ここは初日の出見物スポットとしてもよく知られている場所で、元日には大勢の見物客が訪れるという。
前の道は路上駐車が延々と続く。
道路になる前は、1969年まで江若鉄道が走っていた。
そんなわけで、今回はサルタヒコのことが宙ぶらりんのままになってしまったけど、これがまた別のどこかに必ずつながっていくものと思っている。
来年は申年ということで、猿つながりのサルタヒコに対する注目度も上がる。私もまたどこかでサルタヒコと再会することになるだろう。
【アクセス】
・JR湖西線「近江高島駅」から徒歩約50分
・駐車場 あり(無料)
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