カモから始まる古いネタの群れ

野鳥(Wild bird)

遠くのカモ軍団


OLYMPUS E-10+C-PL+テレコン, f2.8, 1/125s(絞り優先)


 池の中心付近にカモ軍団発見。
 遠っ!
 小っちゃ!
 至近距離で見てもよく分からないのに、これだけ遠いと何ガモかさっぱり区別がつかない。もう少し近寄れないかと池を一周してみたけど、真ん中あたりで固まって岸辺に近づくことはなかった。まだ渡ってきたばかりで人に慣れてないというのもあったのだろう。残念無念また来週。

 体が小さいやつはコガモの気がする。大きいのはオナガガモだろうか。両方はずしてるかもしれない。一年中いるカルガモも入っていたりするのか。ヒドリガモは入ってないように見えたけどどうだろう。
 でも、何ものであろうと、今年もまた忘れずに渡ってきたカモたちの姿を見て嬉しかった。
 おかえり。

 もし写真のカモがコガモやオナガガモだとしたら、彼らはユーラシア大陸か、北アメリカ大陸の北あたりから渡ってきたものだろう。のんきに浮かんでるだけのように見えるカモも、何百キロ、何千キロという長旅をして日本にいる。そんなに飛べるようには見えないんだけど、たいしたものだ。
 冬にカモが池や川にいるのは当たり前だと思っている人が多いかもしれない。または、そんなこと興味さえ持たず見ようとも思わない人もいるだろう。おととしまでの私もそうだった。知識として渡りを知っていても、興味を持たなければカモは風景の一部でしかない。
 その認識を一変させたのは、『WATARIDORI』というフランスのドキュメンタリー映画だ。これは渡り鳥に密着した貴重な記録フィルムで、悲しくも力強く、感じるところの多いものだった。
 渡るということが知識としてではなく感覚としてその大変さの一端を知った。それ以来、池でのんきそうに浮いてるカモは、私にとって尊敬の対象となった。偉大な旅人として。

 しかし、どうやって彼らは渡りの位置を正確に知ることができるのだろう。不思議だ。いつも同じところに行くのかどうかは分からないけど、毎年同じくらいの数のカモたちが同じところへ飛来してくるというのは、単なる偶然ではあるまい。
 ユーミンがかつて「'78」で歌ったように、「ふるさと忘れない渡り鳥の群れはどこかに磁石を持ってる」のだろうか。

 これから本格的な渡り鳥の季節になる。日本中の川や池や海に、たくさんのカモたちの姿が見られるようになるはずだ。
 今年はぜひ、池や川に行ったらカモのことを眺めて欲しい。何千キロもの空を飛んできた姿を思い浮かべながら。もしかしたらカモを好きになってしまうカモね。
 ……。
 カモを好きになったあなたは、きっとこう歌わずにはいられないだろう。
 ♪カモねカ~モね 恋カモね~ クセになっちゃうカモね~♪
(30代以上限定)

 私は池に浮いてるカモたちを見ると、ときどき思う。
 マラソンの小鴨ちゃん、元気にしてるかな、と。松野明美はテレビであんなにうるさいくらい元気だけど。

 もし、川辺や池のほとりで、ギターを背負った男がカモを見ていたら、それは私である確率が高いです。優しく、「マイトガイ?」と声をかけてください(元ネタが古すぎる)。

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