
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
四間道シリーズは続く。今回で5回目になる。
「しけみち」という呼び名がいつ定着したのかは知らない。江戸時代にはもうそう呼ばれていたのだろうか。
名古屋城の築城が1609年。それまで尾張の首府だった清洲からごっそり町ごと引っ越しさせてしまったのが、いわゆる清洲越しというやつで、四間道の町もそのときに作られたものだ。
1700年の大火でこのあたりは一度焼けて、再建するときに防火目的のために四間(約7メートル)の広い道に拡張したことから四間道と呼ばれるようになったという。
商人の町だったので、広い道を住人が望んだというのもあっただろうか。
現在のような町割が完成したのは1740年頃とされている。
今の町名でいうと、西区那古野町1丁目の東南エリアを四間道と呼んでいる。
名古屋城は第二次大戦の空襲で焼けてしまったものの、那古野町あたりは焼けなかったので古い町並みが残った。
名古屋も開発が進んで、下町の風情が残る町は少なくなった。町並み保存地区に指定されているのは、四間道の他には、有松、白壁・主税・橦木、中小田井の3ヶ所となっている。










つづく。