21世紀になっても砂漠の舟ラクダさんが頼りです 2006年10月9日(月)

動物園(Zoo)
砂漠はラクダが頼り

OLYMPUS E-1+Super Takumar 200mm(f4), f5.6, 1/50s(絞り優先)



 なんとなく微笑んでいるように見えたラクダさん。どの角度から撮ろうかと移動しながら狙っていたら、向こうもそんな私をずっと追いかけて見ていた。観察しているつもりが観察されているのは私の方だった。動物園は動物の側から見れば、人間ウォッチングの場だ。人間でも見てなくちゃ退屈でやりきれない。
 砂漠の舟と呼ばれるラクダは、21世紀の今でも砂漠で人の乗り物として現役で活躍している。人類はこれまでに様々な乗り物を開発してきた中で、どういうわけか砂漠に適した乗り物については決定的なものをいまだ作り出せていない。砂漠用のバギーはあるものの、所詮バイクで長い距離が走れないし、フルフェイスのヘルメットをかぶらないと砂で大変なことになってしまう。完全防備で砂の上を滑るように走る乗り物があってもよさそうなのに、実際のところはどうなんだろう。
 いずれにしても、砂漠生活に置いてラクダというのは今も実用的な乗り物であることは間違いない。馬がなくても人は生活していけるようになったけど、ラクダがいなくては砂漠では生きていけない。ある意味では、最後の生きた乗り物と言ってもいいかもしれない。
 とにかくラクダというのは砂漠に特化した生き物で、その性能はすごいものがある。のんきそうに口ももぐもぐさせているお人好しと思ったら大間違いだ。今日はそのへんのことについて勉強してみた。

 ラクダにはヒトコブラクダとフタコブラクダがいる。文字通り、背中のコブがひとつかふたつの違いで、これは地域による違いだ。西アジア原産がヒトコブラクダで、中央アジア原産がフタコブラクダになる。人コブとフタコブを掛け合わせるとヒトコブ半ラクダになるというのも面白い。
 そもそもラクダってどんな生き物? と自問自答してみるとよく分からない。何が分からないかというと、そのポジションだ。日本では動物園にいるものだけど、現地ではどうなってるんだろう。野生動物なのか、人の持ち物なのか。その長年のモヤモヤが今日晴れた。ヒトコブの野生は絶滅して完全に家畜になっていて、フタコブもほとんどがそうなっている中、わずかに500頭ほどがトルキスタンやモンゴルに野生として残っているんだそうだ。言われてみれば、野良ラクダってテレビでも見たことがない。パリ・ダカール・ラリーで歩いてるラクダとぶつかってリタイアなんて話も聞いたことがない。そうか、ラクダはもはやすべて人間のものとなっていたのか。
 あのコブの中には何が入っているか? 昔はあれは水筒だと思われていた。砂漠で水を飲まずに生きていけるのはあそこに水をためておいてチビチビ吸収してるからに違いない、と。もちろん違う。あれは脂肪のかたまりで、砂漠を生きるためにさまざまな役割を果たしている。エネルギー貯蔵庫であり、太陽の熱を遮断する皮下脂肪であり、体温の上げ下げを調節したり、この脂肪を使って代謝水と呼ばれる水を作り出すことさえできるのだ。コブの大きさは50キロもある。
 とにかく砂漠は暑くて乾燥していて夜はめっぽう寒い。それに対処するために、一週間近くも水を飲まなくてもいいような体をしていて、暑いときには自らの体温を上げ、寒いときには自分の体温を下げて対処する。日本の動物園でちょっと暑いといってはぐうたらし、寒いといっては部屋にすっこんでいるような軟弱な動物たちとは頑丈さがまるで違うのだ。名古屋の夏も冬も、彼にしてみたらぬるま湯生活のようなものなのだろう。
 水は飲めるときはこれでもかってくらいに飲む。ごくごく飲むは飲むは、とどまることを知らず、一度に80リットルから100リットルも飲むというから驚く。2リットルの大きいペットボトル40本から50本といえばその量のすごさが分かるだろう。いくら体重が500キロくらいあるからといって、100リットル一気飲みはやりすぎだろうと心配になる。水はこまめに飲んだ方が体にいいって言うぞ。それに、そんな量をどこに保存しておくんだと疑問に思う。体の中に水筒でも持ってるのか、と。
 実は、血液の中に水分を溶かして込んでしまうというのだ。普通、ほ乳類はそこまで体内の水分量が増えると、血液中の赤血球が破裂してしまうのに、ラクダは大丈夫なようにできている。砂漠を生き抜く知恵というのは、体の構造までこんなにも劇的に変えてしまうものなのか。そんなに水たぽたぽでも大丈夫な一方で、体内の水分の4割失ってもまだ生きていられるというのもすごい。人間などは1割も失ったら生きていない。
 その他、砂漠を生き抜くための工夫として、鼻の穴をぴたりと閉じることができたり、異常に長いまつげと耳毛を持っていたりする。これは砂対策だ。砂というものもとてもタチの悪いものだ。砂漠なんかにデジカメを持っていったら一発で駄目になってしまう。
 砂漠を歩くという点でも、ラクダの足は砂漠用にできている。馬のように大きな固い蹄では都合が悪いので、小さい蹄と2本の指を持ち、足の裏は犬のような肉球を持っている。これで足場の悪い砂漠を歩くことができている。意外と足も大きい。
 ラクダは走らないと思ったら大間違いだ。一般的な土の上なら時速50キロまで出せるという。そんな速いラクダはイメージできないけど、モンゴルなどではラクダでレースが行われているそうだから、本当はラクダも砂漠じゃなく草原で駆け回っていたかったのかもしれない。

ラクダのマサシかな

 上の写真の濃い色の方がメスのハマコで、これがオスのマサシだと思うのだけど、はっきりしたことは分からない。違ってるかもしれない。上の方が若く見えると思ったら、1993年生まれで、下の方はちょっとしょぼくれた感じの1983年来園だそうだ。
 こうやって全体像で見ると、なんとなくラクダの体はバランスが悪そうに見える。体が先にあって、そこに首と顔を付けるとしたら、もっと上の方に付けるだろうと思う。低い位置の方が地面のエサを食べるには都合がいいかもしれないけど。
 ラクダは草食動物で肉は食べない。食べた草を牛のように反すうして、ゆっくりと消化しつつ、体の中で発酵させて栄養に変えている。
 日本へは、1820年だから江戸時代も終わりの頃、見せ物としてオランダ人商人が連れて回ったのが一般的な始まりらしい。ラクダの存在自体は決して派手なものではないものの、物珍しい生き物に江戸の庶民は驚いたことだろう。中には背中に乗ったお侍さんもいたかもしれない。ちょんまげに刀を差してラクダに乗る人、想像すると笑える。

 ラクダの英名はcamelとして有名だ。キャメルのタバコを私もしばらく吸っていたことがあった。
 日本での駱駝という呼び名は、元々中国から入ってきた言葉で、最初は「たくだ」だったそうだ。「たく」というのは荷物といったような意味で、背中のコブを荷物に見立てて、荷を背負うけものということで付けられたのだろう。それがいつの間にかラクダになってしまった。おかげで、ラクダに乗ったら楽だなぁというオヤジギャグを生むことになる。観光地で日本人を乗せるラクダもいい加減聞き飽きたことだろう。
 私もいつかラクダに乗ってみたいと思う。そのときはひとつ、正装でビシッと決めねばなるまい。上はラクダのシャツに下はラクダのもも引き、冷えるといけないのでラクダの腹巻きも忘れずに付けよう。そして、月の夜に東京砂漠をラクダの背にゆられながら有楽町あたりをゆっくりいくのだ。そんな格好をして、月の~砂漠を~はぁる~ばるとぉ~と歌っている男とラクダを見かけたら、ぜひペットボトルの水を恵んでください。
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