
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
御器所八幡宮へ行った日、近くにあった尾陽神社(びようじんじゃ)にも立ち寄ってみた。
どんな由来の神社かは知らず、地図で見つけて行ってみただけだったのだけど、尾張藩の藩主を祀る神社とは意外だった。
小高いところにあるのは、かつての御器所西城があった場所に建てられているからだ。
佐久間家の居城として1440年頃に築城されたといわれている。
佐久間家は、盛次の時代に織田信長の家臣となり、その息子の盛政は柴田勝家の甥だったので、賤ヶ岳の戦いに参加するも、戦いに破れて命を落としたため、御器所西城は廃城となった。
尾陽神社の創建は明治なので、神社としては新しい。旧尾張藩士が、初代義直と最後の藩主慶勝を名古屋の東照宮に合祀したのが始まりだった。
名古屋開府300年記念として明治43年(1910年)に有志がお金を集めて尾陽神社として創建され、大正13年(1924年)に御器所の地に移されて現在に至っている。
当時の社殿は名古屋空襲で焼けて、現在のものは戦後の昭和45年(1970年)に再建されたものだ。
NHK大河「八重の桜」を観ていた人はもしかしたらこの神社のことを覚えているかもしれない。最後の「八重の桜紀行」で登場したらしい。長州征討の総督が徳川慶勝だったという関係で紹介されてようだ。




地図には久延彦神社(くえひこじんじゃ)の方が大きく載っていて、久延彦神社に着いたと思ったら、尾陽神社とあったので混乱した。久延彦神社は尾陽神社の摂社だった。
それにしても、なんだかすごいロケーションになっている。玄関前に鳥居があって、そこをくぐって家の脇を抜けた先に神社がある。

祭神は、クエヒコ/クエビコ(久延毘古)。
クエビコを祀る神社としては、石川県能登の久氐比古神社や、奈良県桜井の大神神社の末社、久延彦神社が知られている。
なんでも知っているという知恵の神を訪ねていった大国主(オオクニヌシ)が出会ったのはかかしで、それがクエビコだったという「古事記」の話から来ている。

この社殿、200年ほど前に奈良の春日大社の本殿だったものなんだとか。
一度、枚方市にある山田神社に移築されて、それを譲り受けたという。
確かにわりと古そうではあるけど、そこまで貫禄があるかなぁと、しげしげ眺めてしまった。




冬場は神社仏閣ネタの割合が増える。
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