初詣は東谷山山頂の尾張戸神社へ

神社仏閣(Shrines and temples)
東谷山上り石段




 今年の初詣は、東谷山(とうごくさん)の山頂にある尾張戸神社(おわりべじんじゃ/地図)にした。
 毎年ここと決めている神社はなくて、その年の気分でどこにするか決めている。今年は干支にちなんで名古屋市北区にある羊神社にしようとも考えたのだけど、たぶん混んでいるだろうと思って回避した(ニュースを見たら実際激混みだった)。
 羊神社に参拝する(1月の後半に出向いた)
 山登りというには大げさとしても、20分も坂道を歩けばそれはもう山歩きに近い。足場もよくないので、けっこうしんどい。それを含めての参拝と思えば、ありがたいと思うべきかもしれない。



東谷山散策路

 東谷山は古代において重要なところだったようで、山中や周辺に多くの古墳が作られた。
 尾張戸神社の本殿が鎮座しているのも古墳の上で、4世紀後半に築造された円墳とされている。これは尾張国では初期古墳に属している。
 山上と周辺の古墳群をあわせた志段味古墳群は、2014年に国の史跡に指定された。
 東谷山はもともと尾張国の山で尾張山と呼ばれていたようで、尾張=当国で当国山(とうごくやま)とも呼ばれるようになり、後に東谷山という字が当てられたという説がある。
 江戸時代初期に「当国明神」という銘の入った鉄筒が見つかっていることもそれを裏付けており、この説は江戸時代の地誌『尾張名所図会』にも書かれている。
 尾張戸神社は、尾張氏との関係が深く、熱田神宮から鬼門の方角に当たるということで、熱田の奥の院とも呼ばれていた。
 ヤマトタケルの妃で乎止与の娘の宮簀媛命(ミヤズヒメ)が第13代成務天皇時代に創建したという伝承もある。
 主祭神の天火明(アメノホアカリ)の子の天香語山命(アメノカゴヤマ)は、最初庄内川を挟んで北にある高座山に降り立ち、その後、白鹿に乗って川を渡り、東谷山に鎮座したという話があり、これは何らかの史実を反映したものと考えられる。
 現在は小さな社殿や祠などが残るのみとなっているのだけど、『延喜式』神名帳(927年)にも載る式内社で、平安時代から鎌倉時代にかけては熱田神宮に次ぐ規模だったという。
 江戸時代には、尾張徳川家の藩主たちも大事にして、義直や光友なども社殿を造営した。




尾張戸神社へ続く石段

 たかが198メートルの小山と侮っていると痛い目を見る。私は毎回、登るたびに途中で後悔する。
 けど、登ってみると気持ちよくて、また来ようという気になるから不思議だ。そして次もまた登り始めてやっぱりやめておけばよかったと思うのだ。
 そして、下りで膝が痛い。



尾張戸神社拝殿

 拝殿前に門松が飾られていて新年の気分を味わった。



絵馬と忘れ物

 絵馬が寂しい。
 というか、これはここで売られた絵馬ではないのではないか。
 そして、落とし物。



忘れ物のサングラス

 落とし物その2。



東谷山から東方面を望む

 東方面もある程度視界が開けている。方角的には御嶽山が見えるはずだ。
 日の出を見るために登る人もいる。今年の初日の出は見られただろうか。



名古屋駅方面の風景

 神社の向かって左手に展望台がある。
 昼間はよく晴れていて、風も強かったから、きれいな夕景が見られるかと期待したのだけど、夕方なって雲に覆われてしまった。
 ここは夜景スポットとして知られているのだけど、夜の山道を20分も歩かなければいけないのでデートコースには向かないと思う。彼女がタフな人なら平気かもしれない。



小牧山

 平地にぽっかり盛り上がる小牧山。
 かつての小牧山には織田信長が築いた小牧山城があった。
 小牧山全体が人口の巨大古墳ではないという話がある。人口ピラミッドかもしれない(都市伝説)。



王子製紙の煙突

 春日井王子製紙の工場。



遠くの山並み

 遠くの山並み。
 このときは伊吹山は見えなかった。
 伊吹山はヤマトタケルが命を落とすきっかけになったところだ。



庄内川のある風景

 2015年が始まった。
 今年もよろしくお願いします。


【アクセス】
 ・JR中央本線「高蔵寺駅」から徒歩約35分(西登山口まで)
 ・ゆとりーとライン(バス) 大曽根駅発 高蔵寺行き 「東谷橋(とうごくばし)」バス停下車。徒歩約20分

 ・無料駐車場あり(西はフルーツパーク/南は広場)

 ・拝観時間 終日
 
 
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