
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4
イチョウの葉も散った12月前半のある日、伏見を通って大須へ向かった。
この日の目的は、大須一丁目を散策することだった。
大須というと、大須観音のある大須二丁目や、電気街の大須三丁目のことを指す場合が多い。大須へ行くといって大須一丁目を訪れる人は稀だろう。
江戸時代から明治、大正にかけて、大須が遊郭で賑わう街だったことは意外と知られていない。
幕末の安政五年(1858年)に大須観音の北、北野新地に遊廓ができたのが始まりだ。明治7年(1874年)には公認の遊郭になり、拡張のため西側に移転され、日之出町という町名から旭廊と名付けられた。
現在の地図でいうと、大須観音の西から伏見通(19号線)を挟んで西側、大須一丁目の常盤通あたりまでがその敷地だったようだ。
その後、火事などもあり、大正12年(1923年)に中村区の大門に移転して、中村遊廓となった。
以降、大須は商業の町として発展し、戦前は名古屋随一の歓楽街として賑わった。
私自身、大須一丁目は表から見たことがあるくらいで、内側まで入っていったことはなかった。歩いて回るにはそこそこ広いので、とりあえず下見ということで自転車でざっと巡ってみた。今回はそのときの様子を前後編に分けてお送りします。
大須二丁目や三丁目は商業地区として発展したため、昔の面影はあまり残っていないのだけど、一丁目は同じ街とは思えないようなたたずまいを見せる。さすがに遊廓時代の名残はほとんどないものの、昭和の香りは少なからず漂っている。











後編につづく。