
OLYMPUS E-M5 + Panasonic LEICA 25mm F1.4 / OLYMPUS 9-18mm
可児川駅から名鉄に乗って次に向かったのは、小牧線の楽田駅だった。
この日最後に訪れたのは青塚古墳だった。前々から一度訪ねたいと思っていて、ようやく機会がやってきた。
駅から歩いて30分と紹介されているけど、2キロ以上あるので実際はもう少しかかる。狭くて車通りが多い上にまっすぐの道ということで、なんだか遠く感じられた。もう一度行きたいかと訊かれると、あまり気が進まないと答えることになる。バスはないんだろうか。
それはともかくとして、青塚古墳とそこへ向かう道すがらの風景をあわせてお届けします。









愛知県内では、熱田にある断夫山古墳に次いで2番目に大きい前方後円墳だ。
場所は犬山市の西南のはずれ、田縣神社(たがたじんじゃ)の北西約1.7キロに位置している。
田縣神社の社地となっているようだ。
このあたりは青塚古墳群と呼ばれる古墳が集まっている土地なのだけど、どうしてこの地に古墳が多いのだろう。尾張富士からは5キロ以上離れているし、近くに大きな川があるわけではなく、地形的にもこれといった特徴がない。田縣神社は延喜式にも載っている古い神社とはいえ、元々は丹羽郡にあったと考えられていて、あとから移ってきたとされている。
これだけの規模の古墳だから、強大な力を持った首長クラスの人間の墓には違いない。
作られたのは、古墳時代前期の4世紀半ばとされていて、6世紀初めと考えられている断夫山古墳や春日井にある味美二子山古墳よりもだいぶ古い。
古墳時代前期、尾張地方の中心地は内陸の春日井、小牧、守山区あたりで、時代が進むと海に近い熱田方面に中心勢力が移っていったと考えていいだろうか。
平成8年(1996年)から平成12年(2000年)にかけて、青塚古墳は本格的な調査が行われ、元の姿に復元されて今に至っている。
たいていの古墳は草木が生い茂っていてどんな姿になっているかほとんど分からないのだけど、こうして復元された姿を見ると、往事に思いをはせることができる。当然のことながら、盛り土で作られたものだから、最初は草木など生えていないはげ山の状態だ。古墳の周りには壺型埴輪が置かれていたという。
周囲は芝生広場になっていて、スケール感を感じられる。高いところから見下ろせる展望台があればさらによかった。



犬山シリーズも、これでようやく完結した。
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