シーズンオフの上野天満宮を訪れ、ちょっと願い事 2006年9月27日(水)

神社仏閣(Shrines and temples)
季節はずれの上野天満宮

OLYMPUS E-1+Super Takumar 28mm(f3.5), f4.5, 1/40s(絞り優先)



 ふと思い立って、千種区にある上野天満宮に立ち寄ってみた。今回が二度目で、初めて訪れたのは去年の3月半ばのことだった。1年半前の私と今日の私と、何か変わっていただろうか。変わったといえば変わったし、変わってないといえば変わってない。ただ、あのときは抱えていなかった願い事を今は抱えている。神社にお参りするときの作法も覚えたし、心構えも変わった。そういう部分では、天神さんも私の変化を認めてくれたんじゃないだろうか。
 前回が3月中旬で梅は終わっていて、今回は9月の終わり。またもや季節はずれの時期に訪れてしまった。天神様といえばなんといっても梅と合格祈願だ。せっかくならどちらかの季節に行った方が雰囲気を味わえていいのだけど。それでもちょこちょこ入れ替わり立ち替わり参拝者が来ていた。黒い服を着て美しい参拝作法をしていた女の人はどんな願いを抱えていたのだろう。

 名古屋三大天神のひとつである名古屋天神・上野天満宮の創建は990年。当時、都から左遷されて名古屋の地にやって来た安倍晴明が、好きだった菅原道真を祀ったのがはじまりとされている。でも実際のところ、安倍晴明が本当にこの地にやって来ていたという公式記録はない。どうやら安倍晴明の一族がこの地に飛ばされてきたというのが本当のところのようだ。ただ、安倍晴明が住んでいたとされる一年間は京都にいなかったという公式の記録が残っているだけに、満更でたらめでもないのかもしれない。このあたりの地名が、「安倍山」ではなく「晴明山」であるところからも可能性は感じさせる。近くには晴明神社があって、そちらにもちゃんと寄ってきたので、このへんの詳しい話はまたあらためて書こうと思う。
 三大天神のあとふたつは、北区の山田天満宮と、中区の桜天神だ。以前、桜天神のことはこのブログで書いた。菅原道真がどうして天神様として祀られるようになったかといういきさつもそのとき書いたけど、一応おさらいとして簡単に説明しておこう。
 平安時代中期、家柄もよく子供の頃から大秀才だった菅原道真は、大人になってトントン拍子に出世して、右大臣にまで上り詰めた。しかしそれをねたんだ左大臣の藤原時平に無実の罪を背負わされ、京都から太宰府に左遷されてしまう。その地で菅原道真は無念の死を遂げ、それ以来京では様々な怪事件が起こるようになく。藤原一族の関係者はことごとく死に、しまいには雷に打たれて死んでしまう人まで出た。こりゃいけないっていうんで、道真の霊を祀るために作られたのが太宰府天満宮であり、北野天満宮だったというわけだ。
 それがどうして学問の神様となったかといえば、端的に言って、勉強がすごくよくできた菅原道真にあやかろうということだ。代々、文章博士(もんじょうはかせ)の家系に生まれ、自身も23歳でこの地位について、非常にできが良かった。人格者でもあり、後世でも菅原道真を慕う人は多い。そもそも、いくら恨む気持ちが強かったとはいえ、怨霊扱いされるような人ではなかったのだ。ただ、それゆえ神様扱いされるようになったということもあるから、道真さんはどう思ってるんだろう。現在日本全国に1万2,000もの天満宮があるという。こんなにもたくさんのところで祀られている人間は、菅原道真ただひとりだ。
 天神様と呼ばれるのは、落雷で死人が出たことと、元々あった雷信仰とか結びついて、菅原道真は雷の姿になって現れると考えられるようになったからだ。

天神さんの牛

 天満宮には必ずいる牛さん。どうして牛なんだろうと疑問に思った人もけっこういるんじゃないだろうか。これは、菅原道真が丑年生まれだったということと、遺体を運んだのが牛車(ぎっしゃ)で、その牛がどうしても動かなくなったところを道真公の意志として墓所とし、そこに太宰府天満宮が作られた、というエピソードがあるからだ。天神様は白い牛に乗ってやってくるという言い伝えも関係があるのだろう。
 もうひとつのシンボルである梅は有名なので知ってる人が多いと思う。道真さんは子供の頃から好きで、最後まで梅のことを愛でていた。京都の庭にあった梅が一夜で太宰府まで飛んでいったという飛梅伝説や、「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだのも有名な話だ。

 天神様と聞いて、「天神様の細道」を思い出す人もいるだろう。今はもう、「とおりゃんせ」なんていう遊びは誰もやらないだろうし、知らないだろうけど、私たちが子供頃はまだ残っていた。鬼になったふたりが向かい合って両手をつないで門を作り、その下をみんな一列になって「とおりゃんせ、とおりゃんせ」と歌いながらくぐっていく。みんながくぐり終えるともう一度戻り、そのとき鬼だったふたりは今だっと手を下ろして誰かを捕まえる。捕まった人はわー、捕まったー、と嘆き悲しむ、といったような遊びだったと思うんだけど、細部までの記憶がない。そもそもこれを遊びと言えるのかどうなのか。
 童謡の歌詞をどう解釈していいのか疑問に思った人もいたんじゃないかと思う。

 通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ
 ちょっと通してくだしゃんせ 御用のない者通しゃせぬ
 この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります
 行きはよいよい 帰りは恐い 恐いながらも 通りゃんせ通りゃんせ


 なんで行きはいいのに帰りは怖いんだろう? 七つのお祝いということは七五三だろうに、それにしてはなんだかおどろおどろしい雰囲気さえある。
 いくつかの解釈がある中で、一番納得というかしっくりくるのは、間引きや子捨ての歌だろうという説だ。貧しい一家で子供を食わせていくことができなくなった母親は、7歳になった子供を天神さんに捨てに行く。「七つ前は神の子」という考え方があって、それまでは罰が当たると怖いので育てて、いよいよ成長して食べさせられなくなったので捨てに行くのだ。当時は捨て子が巷に溢れ、誰もどうしようもできなかった。そんな中、天神さんだけは拾って育ててくれるという噂があり、だからそこへ行くのだ。
 この歌詞での登場人物は三人。歌詞をそれぞれセリフとして割り当てて見ると分かりやすい。

 通りゃんせ 通りゃんせ<母親>
 ここはどこの細道じゃ<子供>
 天神様の細道じゃ<母親>
 ちょっと通してくだしゃんせ<母親・番人に対して>
 御用のない者通しゃせぬ<番人>
 この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります<母親>
 行きはよいよい 帰りは恐い<母親の内心>
 恐いながらも 通りゃんせ 通りゃんせ<門番>


 捨て子があまりにも多いもんだから、天神様の前では門番が見張っている。ここは通さないと立ちふさがる門番に対して、七五三のお参りに行くと言って通してもらう。行きはその言い訳が通るけど、帰りは子供を連れてないのでどう言い逃れをしたらいいのかと考えると恐ろしい。本当は門番もそのことには気づいていながら通してやる。
 もちろん、この解釈が必ずしも合ってるというわけではないけど、「はないちもんめ」や「赤い靴」に通じる怖さがある。

 現在の天神様は、決して細道でもないし、怖い門番が立っているわけでもなく、開放的な明るい雰囲気で、境内の中は心地いい。道真さんももう怒ってないだろうし、受験シーズンは殺気立っていることがあっても、季節はずれはいたってのんびりしている。道真さんはわずらわされることなく自分の勉強に集中できているだろうか。
 天満宮を訪れるといつも、「菅原道真公は日本を代表する勉強家でした」という言葉を思い出して、そのたびに胸を打たれる。勉強家日本代表になるには、一体どれくらい勉強しなくてはいけないのだろう? 今になってやっと少しずつ勉強をしてる私だけど、勉強家というにはあまりにも遠い。
 天満宮は、受験生やその家族のためだけのものでは決してない。大人になってからも折に触れて立ち寄って、道真さんに思いを馳せ、あらためて勉強の誓いを胸に刻むいいきっかけとなる。私もまた、梅の咲く2月に行こうと思う。半年近くあるから、そのときまでにはもっと変わった自分を見せられるようにしたい。それから、道真さん、例の件、よろしく頼みます。
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コメント
  • 2006/09/28 21:02
    ”例の件”が気になりますが(笑)
    実に渋い赤、というか紅色ですな、このレンズ
  • E-1とTakumarの微妙な関係
    2006/09/29 03:27
    ★ただときさん

     こんにちは。
     例の件はまあいいとして(笑)、TakumarとE-1の組み合わせはやや微妙なものがあります。
     フォーサーズの規格で2倍換算になってしまうんで、まだちょっと慣れない。広角がダメだし。
     色合いは、50mmや55mmはクリアで深みがあっていいけど、28mmになるとちょっと渋すぎかも。(^^;
     TakumarはCanonのあっさり画質と組み合わせると、いい感じに深くなるようです。
  • 神頼み
    2006/09/30 22:12
    オオタさん

    上野天満宮には来週くらいに参拝に行こうと思っていたところでした。
    頭に五徳を乗せ、白装束のアンジェリーナジョリーがいたらwatashiです。うそ

    神社仏閣の中でもここは霊験あらたかだと評判ですね。時期が時期だと混みあって
    大変です。
    いえ、江原信者じゃないですけどね。相性の善い神社やお寺ってあるんですよ。
    建て直されて入るけれど歴史は古い川原神社とかもそうだけど、鳥居をくぐると
    何かこうピーンと空気が澄んでいるというか神の領域に入ったというか、空気の境目
    がわかるというか、いかん段々電波な話になりそうなのでこの辺で。
    上野天満宮に行く道すがら城山八幡宮というこれまた古い神社が覚王山にありまし
    て、ここは末森城址といわれ、織田家の関連の由緒ある神社です。
    信行公、信秀公が弔われている桃厳寺も合わせていかがどす?(なぜか京都弁)

    南山教会はクリスマスイブに行くとクリスマス礼拝やっててこれまたとても荘厳な
    気持ちになります。イルミネーションも綺麗ですしね。っておまえは何信者じゃ?と
    突っ込み入りそうですが、ここは生活圏内なので、ちょっと通り道に覗いたりしている
    のです。その近くの香積院は禅寺で座禅などのイベントもあり、大晦日には甘酒
    振舞われます。除夜の鐘を聴きながらね。
    なかなかこの近辺は都会の中で古き良き習慣が息づいていて良い街ですよ。
  • 君がアンジェリーナかい?
    2006/10/01 03:42
    ★magnoliaさん

     こんにちは。
     来週、上野天満宮に出没予定なんですか?
     見張ってようかな(笑)。
     白装束のアンジェリーナ・ジョリーですね。了解です。
     ♪おー、アンジェリーナ 君はバレリーナ ニューヨークから流れてきた 淋し気なエンジェル♪ と、佐野元春の「アンジェリーナ」を口ずさんでいる男がいたら、それが私です。

     上野天満宮の受験シーズンってどんな感じなんだろう。やっぱりお受験でピリピリムードが漂っているのかな?
     一度見に行きたいけど、そんなときにのんきに写真なんか撮っていて大丈夫なんだろうか。

     江原さんはちょっとインチキな若花田っぽいところがあるけど(笑)、「オーラの泉」を見てから好きになりました。ありゃ完全に何か見えてますね。
     会いたいとも思うけど、会うのが怖い。(^^;

     相性のいい神社とそうでないところって、ホントにありますね。私もよく感じます。
     神社だから悪いところはないんだろうけど、何も感じないところってあるんですよね。あれは波長が違うからなのかな。

     川原神社ってのは知らなかったです。よさそうなところですね。ぜひ今度行ってみます。
     城山八幡宮と桃厳寺は、しっかり行ってますよー。ふふ。
     http://www5b.biglobe.ne.jp/~mo42/pic_103.html
     http://www5b.biglobe.ne.jp/~mo42/pic_102.html

     南山教会のクリスマスミサまで行ったことがあるって、magnoliaさん、何者? と思う(笑)。
     香積院の大晦日も行ってるんですね。
     私は、岡本太郎作のトゲトゲが付いた鐘を鳴らせるという久国寺の大晦日に行きたいですー。
     またなんかいいところあったら教えてくださいね。
  • ガラスのジェネレーションではないけれど
    2006/10/01 20:12
    オオタさん

    オーラの泉を観ていると、「平成狸合戦ぽんぽこ」を彷彿とさせます。
    そのままアニメになりそうなキャラクターなんだもの。

    城山八幡宮と桃厳寺はもう取材済みだったのですね、これは失礼をばいたし
    ました。こうして改めてみると立派ですね、もっとしっかり見ておくんだった。
    城山八幡宮の神楽殿にはとある儀式のために入ったことあるんですけどね
    それはもう神の領域でして、真夏にもかかわらず蝉の鳴き声は聴こえない
    蚊もいない、ATフィールド内にいるようでした。
    入った事ないんですけどねATフィールド。

    岡本太郎といえば、川崎にある岡本太郎美術館http://www.taromuseum.jp/
    がこれからの季節紅葉もライトアップされて綺麗ですよ。展示されているものも
    南青山の記念館とは違った趣があって岡本太郎好きでなくても、岡本ワールドの
    虜になります。

    上野八幡宮にもし行かれたら絶対「OH!アンジェリーナ」を歌っててくださいね。
    その曲に合わせてグランジュッテしながらそっと逃げます。


  • とおりゃんせ。。。
    2006/10/01 21:16
    そんな解釈があるんだ~。知らなかった。。。
    昔、高階良子という漫画家の作品で、「かごめかごめ」を題材に
    描いた 、うすら怖い作品があったことを思い出しましたよ。

    けっこう深い、怖さのある 歌詞だったのですね。
  • 上野天満宮で何かが起きる?
    2006/10/02 02:58
    ★magnoliaさん

     サムデイmagnoliaさん、こんにちは(勝手に命名してみる)。

     江原さんはホント、実写版「平成狸合戦ぽんぽこ」が作られることになったら、主役に抜擢されること間違いなしですね。ノーメイクでいける。
     猫顔、キツネ顔、犬顔っているけど、タヌキ顔ってなかなかいないから貴重だ。
     いや、江原さんは好きなのです(笑)。

     城山八幡宮の神楽殿に忍び込んだことがあるんですか。そりゃすごい。
     え? 忍び込んでないですか?
     しかし、謎の儀式でそんな内部まで入り込んでいるmagnoliaさんって。
     ATフィールド全開でシンクロ率は400%を超えましたか?

     岡本太郎は、晩年のちょっといってしまっている姿しか知らないことを今更ながら少し反省。(^^;
     もう少し作品についても勉強しなくてはいけません。

     上野天満宮で出会ってしまったら、magnoliaさん、飛び跳ねながら逃げていってしまうんですか? それじゃあ、私はドリフ版の白鳥の湖で追いかけます。志村けんがつけてたやつ、どこに行けば手に入るんだろう。
  • 太宰府天満宮も今は静かなのかな
    2006/10/02 03:09
    ★miezoさん

     こんにちは。
     また天満宮行ったのに、季節はずれでした。
     縁はあるのに微妙にずれてる感じ。
     太宰府も今はのんびりムードが漂っているのかな?
     きっといつか行くから待っていてくださいね、太宰府天満宮。ガイドmiezoさんも、よろしくお願いします(笑)。

     とおりゃんせにしても、かごめかごめにしても、普通に解釈すればできるんですよね。そんなに深読みしなくても。
     けど、はないちもんめや赤い靴はホントに怖い。(^^;
     あんな童謡を子供が無邪気に歌っていてもいいんだろうかと思ってしまう。
     今の時代は怖くなったっていうけど、実は昔の方が怖さが深くて暗いんですよねぇ。悲惨さというか。
     赤い靴はいた女の子は、ひいじいさんに連れて行かれてしまったという方がよかった(笑)。
  • ロンギヌスの槍
    2006/10/04 01:30
    オオタさん

    こんばんはサムデイmagnoliaです。
    音だけで聴くとニューエイジっぽいですね。もちろん宗教じゃない方ですが。

    城山八幡宮では雅楽を神様に奉納する儀式に立ち会ったのですが全く
    異世界体験でした。人間の力を超えたものへ畏敬の念を覚える機会って
    自分が追い詰められるか、死ぬほど感謝できることがないかぎりあまりないと
    思いますが、日々忘れちゃいけないことだと神社仏閣めぐりするたび思います。
    ATフィールド全開でシンクロ率は400%を超えたらリビドー開放されて
    天変地異起こります。私の周りだけ。雨乞いの時は呼んでね。


    志村で来るなら、合言葉は「アイーんだよ」でお願いします。
    私は「グリーンだよ」
  • 雨乞い勝負なら自信あり
    2006/10/04 02:23
    ★magnoliaさん

     こんにちは。
     テクノカットにしたことはない、オオタです。

     magnoliaさん、雅楽の奉納に立ち会ったんですか。もしかして舞ったり、楽器演奏したりしたんでしょうか。
     私は神道に少しだけ関わりがあるんだけど、そこまで神懸かりな感じって体験したことないです。経験してみたいような、ちょっと怖いような。
     宗教的な儀式って、その場の雰囲気に取り込まれてしまうと危険なところってありますよね。新興宗教でもそういう部分がきっとあるんだろうな。

     雨乞いは私も得意です。雨男じゃないんだけど、私がめったにしない洗車をすると、当日もしくは翌日に雨が降る確率は約7割です。洗車途中で降ってきたことも2度や3度ではありません。月に一度くらいしか洗車しないのにこの確率。
     今度雨乞い勝負しましょうね(笑)。

     志村けんの白鳥の湖はちょっと厳しいかなぁ。
     私、仲本工事でいっていいですか? って、どんなカッコウしていけばいいんだろう。
     もし似てなくても、ロンギヌスの槍でわき腹をつついたりしないでくださいね。
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