瀧原宮に見る原初の面影

神社仏閣(Shrines and temples)
瀧原宮-1

SONY α55 + SONY 35mm f1.8



 神宮外宮をあとにした私は、参宮線で多気駅まで戻り、紀勢本線に乗り換えて、滝原駅を目指した。
 この旅の出発点は、瀧原宮(たきはらのみや)へ行くことだった。せっかくそこまで行くなら外宮も一緒に回ろうということだった。
 ひとつ手前の三瀬谷は母親の生家があるところで、子供の頃から何度も訪ねている。ただ、鉄道ではなく車だったこともあって、滝原は名前を知っている程度で、瀧原宮も行ったことはなかった。
 駅から神社の入り口までは1.5キロ。のんびり歩いて25分ほどだった。




瀧原宮-2

 鳥居をくぐって参道を歩き始めた感じは、父方の祖父母が暮らしていた勢和村の丹生大師の雰囲気に似ていた。初めてなのに馴染みのあるところに思えた。
 境内は奥に深い。お宮のあるところまではけっこう歩く。林を含めた宮域は44ヘクタールというから広大だ。
 こんな場所に何を思ったか、大戦末期にB-29がやってきて焼夷弾を落としていった。それで杉の巨木が焼けてしまったという。
 戦後は進駐軍がやってきて、駐留していたらしい。母親の兄弟が米兵にチョコレートをもらいにいったという話を昔聞かされたことがある。




瀧原宮-3





瀧原宮-4

 参道脇に清流が流れており、神宮と同じようにここが御手洗場となっている。




瀧原宮-5





瀧原宮-6





瀧原宮-7

 倭姫命(ヤマトヒメ)がアマテラスを祀る場所を探しているとき、瀧原に美しい場所があると聞いてやってきて、ここに新宮を建てたのが始まりとされる。
 その後、ほどなくして現在の内宮がある場所に新たな新宮を建てることになり、ここ瀧原は神宮の別宮という扱いとなって、現在に至っている。
 ヤマトヒメは、第11代垂仁天皇の皇女で、代々天皇の息女が神宮で務めることになる斎宮の始まりとされている。
 ヤマトタケルの叔母にあたり、タケルに天叢雲剣(のちの草薙の剣)をさずけたのが、ヤマトヒメだ 
 元伊勢ではなく、別宮とされた理由ははっきりないようで、実際の創建年など詳しいことは伝わっていない。




瀧原宮-8

 社殿や境内は、この上なく質素で原初的だ。
 江戸時代以降、庶民に開放されてやや俗っぽくなってしまった神宮も、本来はこんな姿をしていたのではないかと思わせた。
 歴史や格式のある神社は全国にいくつもあるけれど、これほど神社本来の素朴さを保っているところは、そうないんじゃないと思う。
 神社好きの人なら一度訪れておいて損はない。




瀧原宮-9





瀧原宮-10

 これが最初で最後になりそうな瀧原宮は、長く印象に残るに違いない。

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