
SONY α55 + SONY 35mm f1.8 / TAMRON 10-24mm f3.5-4.5
仏は偏在し、神は空間に宿る。
手を合わせて念じれば仏に通じることはできるけど、神に会うためにはその場所に自ら出向かなければならない。
子供の頃、親に連れられて行ったかどうか記憶が定かでない。内宮は確かに行っているはずだ。何年か前にも参拝した。外宮は、もしかしたら今回が初めてだったかもしれない。前から一度行かなくてはいけないと思いつつ、なかなか機会を作れずにいた。
両親が多気郡の生まれ育ちで、松阪生まれの私にとって、伊勢は、お隣さんのような近しさがある。神宮は地元出身の出世頭というか、有名人になった親戚みたいなものというか、遠いようで近い存在に感じている。
式年遷宮の年だから行ったというのではなくて、たまたまそういう巡り合わせだっただけだ。そろそろ挨拶に来いよと呼ばれたということだったのか。
それにしても、ものすごい人だった。今年は外宮も参拝客が多いという話は聞いていたのだけど、聞きしに勝る賑わいで、想像を遙かに超えていた。滞在時間は30分もなかったはずだ。急いで参拝と撮影を済ますと、逃げるようにあとにしたのだった。じっくり腰を据えて写真を撮れるような状況ではない。
それでも、せっかく行ったのだから、その日撮れる精一杯を撮ってきた。人が少なければもっといいのが撮れたかといえば、案外そうでもないのだろう。本気で撮ろうと思えば、泊まりがけでいって早朝に撮るしかない。

参道を埋め尽くす人。
初詣かというくらいの人出だった。
別宮の多賀宮に参拝する列に並んだら、30分かかると言われてあっさり断念した。正宮参拝の待ち時間は5分程度だったのだけど。











内宮と外宮は、やはり空気感が少し違うように思う。内宮も賑わっていたけど、あちらの方が空気がピリッとしていた。
陽と陰というのとは違って、内宮が動の気なら外宮は静の気といえるだろうか。
もっと人が少ないときに訪れていたら、また違った印象を受けるかもしれない。
ただ、お伊勢さんは、そう何度も行くようなところではないようにも思う。
次の遷宮まで生き延びることができたら、めっけものだ。
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