
SONY α55 + MINOLTA 50mm f1.4
まだパソコン・電気屋街だった時代から今に至るまで、何度となく訪れ、ここ数年折に触れて撮っている大須という街に対する強い苦手意識がある。
次は少しくらい撮れるのではないかと訪ねてみるも、やっぱり撮れずに終わって、虚しい気持ちを抱えてあとにすることになる。
正直、あの街は好きじゃない。好きじゃないけど、無視もできない。撮れるようになるのではないかという予感もあり、いつか撮れるようになりたいという願望も持っている。
要するに、私にとって非常に難易度の高い被写体ということだ。飛ぶトンボより、サーキットのマシンより、女性ポートレートよりも難しいもの、それが大須という被写体だ。
商店街でいえば、円頓寺や瀬戸に対してそんな感じはまったくない。歴史があってさびれている町は好きな被写体だし、苦手意識を感じたことはない。
何故、大須だけが特別なのか、その理由は自分でもよく分からない。とにかく撮れない。撮りたいものがないのだ。あれだけ大勢の人がいて、多様な店があり、新旧の魅力が混在した空間なのに、どうやっても上手く同調できない。私があの街を受け入れられないのか、あの街が私を受け入れないのか。
なんとか苦手意識を克服しようと、この日もアーケードを中心に1時間半ほど歩き回った。その間、撮れたのは10枚足らず。それ以上はどう粘っても撮れる気がしなかったので、帰ることにした。結局、いつもと同じだった。
もし、見知らぬ他人に声をかけて撮れるようになれば、あそこは最高の撮影ポイントかもしれない。老若男女、オタクからヤンキー、アニメ系から外国人、マニアックな人まで、名古屋の他の街では見かけないようないろんな人が集まってきている。
ある日突然、撮れるようになるかもしれないと夢見つつ、またしばらく寝かせることにする。次の大須行きは、来年になってからだろうか。







あるいは、体を馴染ませるために、写真は撮れなくても週一くらいで通い詰めるというのも、荒療治として一つの方法だ。
好きの反対は嫌いではなく、どうでもいいだ。嫌いは好きに反転する可能性を持っている。
なんにしても、まずは大須を好きにならなければ撮れるはずもない。