
SONY α55 + MINOLTA 50mm f1.4 / TAMRON 10-24mm f3.5-4.5
三岐鉄道(さんぎてつどう)は、現在、三岐線と北勢線の2つの路線を持っている。
元々あったのが三岐線で、以前近鉄だった北勢線を譲り受けて現在に至っている。
三岐線は名前が示すように、三重県と岐阜県を結ぶ計画で敷かれた路線だった。念願かなわず途中で終わってしまうというのはよくある話で、同じ三重県の名松線もそうだ。計画通り、大垣を経由して関ヶ原までつながっていたら、三岐線の姿も違ったものになっていただろう。
四日市の近鉄富田駅と、いなべ市の西藤原駅を結ぶ26.6キロが今の三岐線だ。
上の車両を見て、懐かしいと感じる関東の人もいるんじゃないだろうか。西武鉄道から譲り受けたものをあらたに塗り直して使っている。
北勢線の話は次回することにして、今回は三岐線の旅に出てみよう。
ここは、丹生川駅(にゅうがわ)。富田駅から数えて10番目の駅ということで、もう奥に近い。
前半は住宅地の間を走っていて、撮影したくような場所はあまりなさそうだった。
列車の後方に見えているのは藤原岳で、山肌を大きく削られているのは、石灰が採れるからだ。山を丸ごと削り取ってしまうんじゃないかというくらいの勢いを見せている。藤原岳は登山者にも人気の山で、貴重な植物なども自生している。まだまだ何十年も削る計画らしいから、今後もその姿を変え続けることになる。

田んぼ絡みで撮るのは、ここは最適な場所だ。5月の田植えのときもいいだろうし、夏の緑や、秋の実り、冬の雪景色など、イメージできるシーンは多い。空が広くて気持ちがいい。
丹生川駅から戻る形で三里方面に1キロほど歩いた線路沿いが撮影ポイントだ。

時刻表にない時間に踏み切りが鳴り出したので何事かと驚いたら、貨物列車だった。
セメントを積んでせっせと運んでいる。
現在、JR以外の私鉄でセメントを運んでいる貨物列車は、ここだけだそうだ。
ピストン輸送で、貨物を切り離した先頭車両はすぐに戻ってきた。

民家の庭先で茶トラ発見と喜んだら、飛ぶように逃げていった。

夏休みの丹生川小学校。
ゆるい感じが、とても素敵だ。


伊勢治田であらかた乗客は降りてしまい、乗っていた車両は貸し切り状態になった。
ここからの揺れはなかなかのもので、ダートコースを4WDで果敢に攻めているくらい揺れる。まずまともな字は書けないし、女の子の化粧も無理。紙コップの熱い飲み物とか手に持っていたら大変なことになる。

そんな線路の状態がたたったか、東藤原駅で貨物が脱線事故を起こしてしまい、現在東藤原と西藤原の間は運休になっている。その間は、代替バスが結ぶ。
バスでは乗り通したことにならないだろうと思いつつ、次はいつ訪れることができるか分からないし、西藤原駅も見てみたかったので、バスに乗って行ってみた。

次の折り返しバスまで30分くらいあったのだけど、特に見るものはなかった。
ただ、民家が多くてちょっと驚いた。鉄道のおかげというよりも、近くを通っている道路沿いに町が発展したということだろうか。
藤原岳の麓のひなびた山里を想像していたから、残念というか拍子抜けした。

線路を直している工事風景。
6月の事故から2ヶ月以上経っても復旧していない。まだしばらくかかるのだろうか。

東藤原駅の北に、太平洋セメントがある。
ここはやはり、走っている貨物列車と絡めて撮りたいところだ。

この日は、三岐線と北勢線の全線乗り放題一日券(1,000円)を買っていた。
三岐線と北勢線はつながっていないので、いったん近鉄冨田まで戻って、桑名まで近鉄で移動したあと、西桑名駅から北勢線に乗るしかない。
私は歩く人なので、三岐線の東藤原駅から、北勢線の終点、阿下喜駅まで歩いて移動した。3キロちょっとなので、1時間程度の距離だ。

途中東海自然歩道にもなっていて、こんな田舎道をのんびり歩いていった。
地図では東藤原駅の東に細い橋が架かっていると表示されていてので、そっちに向かって歩いていたら、橋は落ちちゃったので遠回りしてくださいという説明書きがあった。橋を渡って員弁川沿いを歩けば、もう少し近かったのだけど。
北勢線編につづく。