ダ・ヴィンチとミケランジェロはきっとふたりともB型

人物(Person)
レオナルド・ダ・ヴィンチ・バラ

Canon EOS 10D+TAMRON SP 90mm(f2.8), f3.5, 1/800s(絞り優先)



 レオナルド・ダ・ヴィンチの名が付けられたピンクのバラ。フランスのメイアン社作出。きれいないいバラだとは思うけど、ダ・ヴィンチにピンクのイメージはない。レオナルドの名前は、不可能と言われる青いバラが完成するときまで付けずに残しておいて欲しかった。フランスにしては無粋なことをしたものだ。発表されたのが1994年だから、もしかすると多くのバラ作出家が私と同じようなことを考えてそれまで付けずにいたのかもしれない。

 いい機会なので、レオナルド・ダ・ヴィンチについて軽く復習しておこう。
 生まれは1452年。日本でいうと室町時代だ。応仁の乱が1467年で、織田信長が生まれたのは1534年だから、大昔でもないけどつい最近でもない微妙な昔。
 ヴィンチ村で生まれたからレオナルド・ダ・ヴィンチとなったと言われることも多いけど、実際は母親の再婚相手がヴィンチ家の人間ということでそこから来ていると言った方が正しそうだ。
 レオナルドは私生児で、正式な教育を受けてないと言われ、左利きで鏡文字を書く変な少年だった。天才はどこかネジが飛んでいる。
 14、5才の頃、画家の工房に弟子入りして、そこで絵画の才能が開花する。本人が望んで入ったのか、親に放り込まれたのか、そのへんの事情はよく分からない。ただ、天賦の才能があったことは確かで、入門して何年後かには、師匠はレオナルド以上の絵は自分には決して描けないことを思い知って以降絵を描くのをやめてしまった、というエピソードからも明らかだ。

 ダ・ヴィンチの代表作は多くの人が知っている。『モナ・リザ』や『最後の晩餐』を。でも、それ以外の作品を3つ答えてくださいと言われると出てこないんじゃないだろうか。生涯で10数点しか絵を残していないにもかかわらず。有名なところでは、『聖アンナと聖母子』や『洗礼者ヨハネ』がある。あるいは、『白貂を抱く貴婦人』や『岩窟の聖母』などを思い出すかもしれない。ただ、ちょっと不思議なのは、それらの絵にはモナリザや最後の晩餐のような謎めいた感じがあまりしないということだ。力はあるけど特別ではないというか特殊ではない。逆に言えば、圧倒的にモナリザには変な力がある。その落差に戸惑い、なんとなく落ち着かない気分になる。
 ダ・ヴィンチの生涯となると、これも一般にはあまり知られていない。生涯独身だったことや、おすぎとピーコの組合の人だったと噂されていることなどは、一般常識とまでは言えないだろう。
 性格をひとことふたことで説明するのは難しい。才能や興味が多岐にわたりすぎていて、とらえ所がない。ただはっきり言えるのは、ものすごい集中力と人並み外れた飽きっぽさを両方持ち合わせていた人間だったということだ。きっとB型に違いない。
 何をもってダ・ヴィンチを天才とするかといえば、それは絵画だけではなく、彫刻家、建築家、発明家、科学者など、様々な面で天才ぶりを発揮したからに他ならない。ただの絵描きとしてだけなら、これほどまで後世に名は残ってないだろう。
 とにかくあらゆることが知りたくて、あれもこれもやりたくて、のんきにひとつのことに関わってなどいられないのだ。一日が何十時間あっても、一生が何百年あっても、ダ・ヴィンチにとっては短すぎたに違いない。そういう意味では、天才芸術家というよりも狂気の科学者に近いように思える。

ミケランジェロ・バラ

 イタリア・ルネッサンス期におけるもうひとりの天才といえばミケランジェロ。これもフランスのメイアン社のバラだ。レオナルド・ダ・ヴィンチから3年後に発表された。このバラも納得いかない。ミケランジェロのイメージカラーは黄色じゃなく赤系統だろう。バラとしての評価は高いようだけど、名前と合ってない気がする。
 ミケランジェロ・ブオナローティ。英語圏では、マイケルアンジェロと呼ばれるのでずっこける。誰だよそれ、と思う。ヨハネ・パウロのジョン・ポールよりはましだけど。
 ミケランジェロは日本では評価があまり高くないように思う。知名度の点でもレオナルド・ダ・ヴィンチには遠く及ばない。ダビデ像は有名でみんな知ってるにしても、すごいよねぇピエタ、なんてネタを振っても話が盛り上がる気がしない。え? ピエタ? サッカー選手? などという返事が返ってきそう。
 1475年フィレンツェ生まれ。おやじさんは判事で裕福な家庭に生まれるも、幼い頃から絵画に興味を示して13才で自ら芸術家の道へ進む。若い頃から才能を発揮して、ダ・ヴィンチよりも早く名声を獲得した。
 ミケランジェロの人となりについては知らない人も多いと思う。考えてみると、芸術家の生涯について学校ではほとんど教えてくれない。音楽の時間に作曲家の話が出ることはあっても、美術の時間に画家の生涯について勉強した記憶はない。だから、知りたければ大人になって自分で本を読むしかないのだ。天才や変人の生き方から学ぶべきところは多いのに。
 ミケランジェロは複雑というよりも一貫性のないやっかいな性格をしていたようだ。若い頃にケンカして鼻が曲がってしまったことで性格も曲がってしまったのかもしれない。強気と弱気が同居して、尊大な態度を見せたかと思うと妙に涙もろかったり、突然怒りだしたり、残酷になったり。かなりの気難し屋で周りの人たちもさぞや困ったことだろう。まずB型と思って間違いない。

 レオナルド・ダ・ヴィンチと、25才年下のミケランジェロはとにかく仲が悪かった。ライバルと称されることがあるけど、あれは単にお互いが嫌いだっただけだと思う。言い争いの内容も子供のケンカみたいだ。
 ダ・ヴィンチが絵画こそ最高の芸術だと言えば、ミケランジェロは彫刻こそもっとも優れた総合芸術で、ダ・ヴィンチくらいの絵なら自分の下男でも描けると挑発し、負けじとダ・ヴィンチは彫刻なんてものは力仕事で高尚な芸術などではないと言い返す。激情家のミケランジェロは分かるけど、日頃冷静なダ・ヴィンチがムキになるところが面白い。どちらの天才もけっこう人間くさい。
 一度だけ直接対決となった壁画勝負は、ラファエロは途中でトンズラし、ダ・ヴィンチは絵の具が流れ出してきてイヤになって放り出してしまった。結局、どっちもどっちだったのだ。
 ルネサンスの三大天才のひとりラファエロは、若い頃ダ・ヴィンチのもとで修行をしている。そのとき、こんなことを言ったという。「ミケランジェロなんて、あなたの靴の紐をとく値打ちもありません!」と。そんな健気で可愛かった少年ラファエロもやがて天才と呼ばれるようになり、ふたりを超える若き巨匠となった37才で死んでいる。その内に秘めた野心や隠された生涯など、面白い物語もあるのだけど、それはまた別の機会に。

 それはそうと、そろそろ『ダ・ヴィンチ・コード』観に行こうよ、私。うかうかしてると終わってしまうぞ。
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