多度山からの俯瞰撮影

森/山(Forest/Mountain)
多度山-1

SONY α55 + MINOLTA 50mm f1.4 / SIGMA APO 170-500mm f5-6.3



 今日は多度山からの眺めをお届けします。
 健脚コースを行く途中、何ヶ所か視界が開ける場所がある。ベンチなども設置され、ちょっとした休憩所になっている。景色を眺めるふりをして、しばしへたり込む。
 この日一番の目的は、夕焼け色に照らされる木曽三川と水田を撮ることだった。
 しかしながら、太陽は出たり隠れたりを繰り返し、空気はぼんやりかすみ、視界良好とはいえなかった。
 見えているのは、木曽三川公園の展望タワーだ。あのタワーに登って撮ることも考えたのだけど、高さがあまりないことと、場所的に撮影向きのポイントではなさそうだということで断念した。撮りたかったのは、田植えが始まった水田の風景で、タワーからはそれがよく見えないようだ。



多度山-2

 予想通り、広大な田園が広がっていた。ただ、予想以上に稲が生長してしまっていたのは誤算だった。
 名古屋近郊に比べて三重県は田植えが早いというのは知っていたのだけど、思った以上だった。5月の半ばまでには行かないといけなかった。稲が伸びてしまうと、水鏡の夕照が見られなくなる。天候以前に時機を逸した感があった。



多度山-3

 ほぼ山頂に近い場所からの眺め。
 手前が揖斐川で、真ん中が長良川。少し離れて向こうが木曽川だ。
 木曽三川は昔から氾濫を繰り返していて、江戸中期に薩摩藩士が幕府に治水工事を命じられ、大変な難工事で多数の死者を出した。あまりの厳しさに50名以上が自害し、工事完了後には責任者だった家老まで自害するというものだった。
 明治にももう一度大規模な治水工事が行われ、時の首相だった山縣有朋や内務大臣の西郷従道も、多度山を訪れてこの風景を眺めたという。



多度山-4

 山上公園のヤング広場。
 ネーミングが昭和感丸出しなのがいい。



多度山-5

 年季の入ったハート型のベンチ。



多度山-6

 そうそう、見たかったのはこういう光景だった。
 田植えが終わった田園風景のパッチワークが美しい。
 これで夕焼け色に染まっていれば言うことはなかった。
 実際、どうなんだろう。太陽は右斜め後ろに沈む感じで、山の陰に隠れる前に夕焼け色になるのかどうか。
 また撮りにいきたい気持ちはあるものの、ふらっと行くには遠いし、何より山登りが大変すぎる。



多度山-7

 田植えの進行状況としてはこれくらいが望ましい。毎日ここを通っていれば、水が張られたタイミングが分かるのだけど。



多度山-8

 風景と養老鉄道を絡めて撮ることもできる。
 距離感が分からなかったので500mmを持っていったのだけど、そこまでは必要なかった。300mmで充分届く。



多度山-9

 ちょっと都会方面。名古屋市内か、その手前か。
 空気が澄んでいるときなら、名古屋駅のビルも見えるようだ。
 しばらく粘ったものの、夕焼けは期待できそうになかったので、下山することにした。



多度山-10

 つづら折りの道を下っている途中、アサギマダラに出会ってびっくり。こんな時期にこんなところで見るとは思いもしない。
 秋になると里に下りてきて、南へ渡っていくアサギマダラは、春には子孫がまたこちらに渡ってきて、夏場は涼しい山の上で過ごす。だから、5月の終わりに山で出会うことは不思議ではない。それにしても、思いがけない再会だった。



多度山-11

 かなり下ってきたところ。第3見晴台あたりだったか。



多度山-12

 皮肉なことに、下山して駅に向かっている頃、太陽が顔を出して、空を染めた。この時間まで待っていたら夕照風景が撮れたのだろうか。
 心残りではあったけれど、もう一度登る元気は残っていなかった。

 鉄ちゃん用語に、俯瞰症という言葉がある。何かというと俯瞰で鉄道風景を撮ってしまいがちな症状のことを指す。
 今回の多度山撮影で、その気持ちが少し分かった気がする。俯瞰は確かに楽しい。鉄道に限らず、風景でも。
 また俯瞰撮影目的で、どこかの山に登ることにしよう。

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