多度大社再訪

神社仏閣(Shrines and temples)
多度大社-1

SONY α55 + MINOLTA 50mm f1.4



 多度大社を訪れるのはずいぶん久しぶりだ。前回の訪問から10年にはならないとしても、5年は経っているはずだ。ブログを始める前だから、2005年以前ということになる。
 記憶よりもこぎれいになっていた印象がある。新しい建物が建っていたり、階段の手すりなんかも以前はなかったような気がするけどどうだろう。
 前回も多度山歩きとセットだった。違っていたのは、前回は車で、今回は養老鉄道だったという点だ。歩いたコースも少し違っている。
 半分くらい覚えていて、あとは覚えていないような感じだった。前はもっと暗かったように思うのだけど、今回は明るい雰囲気だった。時間帯のせいだったのか、あのときは天気が悪かったのか。



多度大社-2

 多度大社といえば、坂道を馬が駆け上がる上げ馬神事で知られている。
 近年は動物虐待などという声が上がっているけど、南北朝時代から700年以上も続いている神事ということを考えれば、単純に虐待かどうかという問題でもない。
 毎年すごい人出で、まだ生で一度も見たことがない。撮るなら11月の流鏑馬を撮りたい。



多度大社-3

 こんな風景だったかなぁと思いつつ、奥へ進む。



多度大社-4

 本社。
 白い布をなんと呼ぶのか知らないけど、伊勢神宮を思い出させる。多度大社はアマテラスの第3子である天津彦根命(アマツヒコネ)を祀っていることからも、伊勢神宮との関わりが深い。お伊勢参りのときは、多度大社も参らないと片参りといわれたという。
 創建は5世紀の雄略天皇の時代といわれている。雄略天皇は、伊勢神宮の外宮を建立した天皇だ。
 もともとは、多度山を御神体としていたとされる。多度山は霊山として、古くから山岳信仰の対象だったようだ。
 763年に神宮司が創建され、平安時代には名神大社として延喜式神名帳に載っている。伊勢国の二宮だった。
 平安時代の後期には、伊勢平氏に保護され、大事にされたという。伊勢平氏といえば、平清盛の父、忠盛は伊勢平氏の棟梁だった。
 中世は北畠氏がこの地を支配していた。しかし、信長の長島一向一揆討伐のときに社殿は焼けて、江戸時代に桑名藩主になった本多忠勝が再建した。
 大社というのは、旧官幣大社や旧国幣大社が、戦後になって名乗ったもので、戦前から大社を称していたのは、出雲大社と熊野大社だけだった。現在、大社を名乗っているのは20ちょっとある。



多度大社-5

 本社奥に流れ落ちる滝は、神域として近づけない。
 神社の境内には何川か知らないけど、清流が流れている。
 多度峡は神社から西に1キロちょっと行ったところで、夏場の避暑や秋の紅葉狩りに訪れる人が多いようだ。
 多度峡からぐるりと大きく回る多度山歩きコースがあって、そこを歩こうかと考えていたのだけど、やっぱりやめておいた。



多度大社-6

 美御前社だったと思う。



多度大社-7

 白い神馬がいるのも、伊勢神宮と同じだ。
 特にここは馬との関わりが深い。
 神馬がいる神社は意外に少なく、日光東照宮や住吉大社など、全国でも10くらいしかない。
 ニンジン一皿100円って、ふれあい動物園のようなことになっていた。



多度大社-8

 藁葺き屋根の家。表札が架かっていたから、一般の家のようだ。



多度大社-9

 行きの上りは、健脚コースを選んだ。
 つづら折りのコースだと1時間以上かかるところを、健脚コースはショートカットなので30分でいける。
 しかし、ちょっと考えたら分かることで、通常1時間かかる道のりを半分で行くということはそれだけ道が険しいということだ。3合目と書かれた案内表示を見たとき、激しい後悔に襲われた。すでにその時点でヨレヨレのフラフラだった。
 普段から自転車と歩きには慣れていても、山歩きはまた別物だ。足を高く上げないといけないし、息も上がる。
 帰ってきてから3日間、筋肉痛が消えなかった。
 たかが400メートルの山と侮ると痛い目にあう。スカイツリーの展望台まで階段で上るのと同じようなものだといえば、そのきつさがイメージできると思う。



多度大社-10

 帰りはつづら折りのコースを下った。その登山口にあるのが宇賀神社だ。
 こちらも古い式内社で、多度大社よりも古いかもしれないとのことだ。このあたりは古墳も多く見つかっていることから、その時代の豪族が関わっている可能性が高い。

 次回は多度山編をお届けします。

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コメント
  • にっくき信長
    2012/05/30 23:54
    多度大社、曇天であっても境内で自分撮りが、
    綺麗に撮れる不思議な場所で、これを御神徳というのかわかりません・・・
    多度山には登ったことがないのですが養老鉄道できて、
    登るのはなかなか健脚ですね。

    北畠氏は伊勢国の南五郡を支配し、
    伊勢の北八郡は長野氏や関氏、
    今の四日市や桑名あたりは諸家が割拠していて北伊勢四十八家といわれたり、
    十所十人衆とよばれる在地領主衆が治めていたときいたことがあります。
    (郷土史レベルですね)
    でも、信長にやられちゃうんですけどね・・・
  • 多度
    2012/05/31 22:27
    >ごきげんさん

     こんにちは。
     多度はごきげんさんの地元に近いですね。
     チャンスがあれば、山頂まで登ってみてくださいね。
     坂がきついから、バイクは苦戦するかも。(^^;

     中世は、多度大社もだいぶ荒れていたんでしょうか。
     長島あたりは、一向一揆もあったり、信長もずいぶん手こずった自治区だったみたいですね。
     戦国ゲームでいうと、雑賀孫一。
     信長は各地でうらまれてますからねぇ。
     えげつなさでいえば、秀吉や家康も人のことを言えないのだけど。
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