
SONY α55 + SIGMA 50mm f2.8 DG MACRO
ここのところずっと桜の写真が続いていて、これからもまだしばらく続きそうなので、たまには違う写真も挟んでおくことにする。明治村シリーズが途中になっていた。
今回はモノクロ編ということでお送りします。
明治村にモノクロというのは、当然似合うといえば似合うのだけど、はまりすぎてかえって面白みがないと言えるかもしれない。裏の裏をかいたら表になってしまったみたいなもので、裏目に出ている気もするけどどうだろう。
モノクロにするなら最初からそのつもり撮らないと上手くいかない。とりあえず今回の試みで分かったこともあるので、これはこれとして、今後に活かしたい。

鳴らないソ。
時の音。

透過する光景と映り込む風景が、ぐにゃりと溶けた世界。
古いガラスを通して見る世界は、どこか心惹かれるものがある。

階段は、その家で暮らしていた人たちの痕跡が色濃く感じられる場所だ。
耳を澄ませば、足音が聞こえてくるよう。

これもまた、透過と反射。
実像と虚像が混じり合う。

この日は、登場人物にあまり恵まれなかった。
舞台は整い、あとは主役の登場を待つばかりとなっても、思惑通りには現れないことも多い。

無情な錠の音。

扉のこちら側と向こう側。
扉一枚が持つ大きな意味。

明治の人間は、どうしてああもあっけなく新しいものを受け入れることができたのだろう。人も、服装も、建物も、生活も、すべてが一新されてしまった。少し前まで、着物にちょんまげで刀を差していたとは信じられない。

動かなくなって久しい市電とSL。もはや明治村は動かすつもりはないのか。
列車の走らないレールは、錆びるだけだ。

机の小ささや椅子の低さに、流れた歳月の多さを思う。

下駄の音は、今でも耳に残っている。すでに遠い記憶となった。