
SONY α55 + MINOLTA 50mm f1.4
愛知県豊川市にある、宮路山(みやじさん)へ行ってきた。
目的は山登りではなく、ドウダンツツジの紅葉だった。しかし、ドウダンツツジが自生しているのは山頂近くで、それを撮りたければ山に登る必要があった。結果的には、山登りとなった。
名鉄の名電赤坂駅で降りて、南西へ向かう。大まかにいうとコースは二つ、西寄りの舗装道路を進んで登山道から登るか、東寄りの宮道天神社を通って奥の院を目指すか、どちらかを選ぶことになる。私は特に下調べもせず、せっかく神社があるならそちらに寄っていこうという軽い気持ちで東の奥の院コースを選んだ。それがあんな険しい山登りになるとは知らず。
上の写真でいうと、向かって右手に見えているのが宮路山だと思う。
標高は361メートル。低いといえば低いし、高いといえば高い。登山というほどではないにしても、買い物のついでにちょっと登っておくかといった高さではない。


駅から20分ほど歩いたところに、宮道天神社(みやじてんじんしゃ)がある
ふもとにあるのが里宮で、山頂付近にあるのが本宮だと思っていたら、違っていた。下にあるのは拝殿で、上に本殿があるという配置になっている。ここの場合は、山自体が御神体というのとは違う。

拝殿だけとはいえ、境内はなかなか雰囲気があった。
一般的な登山道は西寄りのコースなので、こちらを訪れる人は少ないようだ。



創建年はよく分からないようだけど、かなり古そうだ。
祭神は、建貝児王(たてがいこのおおきみ)で、これはヤマトタケルの息子だ。
ヤマトタケルが東征のときに、付き添っていた息子にこの地を任せ、のちに宮道別(みやじわけ)の子孫が建貝児王を祭ったのが宮道天神社の始まりとされている。
紆余曲折があり、源頼朝や徳川幕府なんかも絡みつつ、宮道天神社と名を改めたのは明治に入ってからのことだ。
途中で、日吉大社から大山咋神(おおやまくいのかみ)を勧請して合祀している。この社は里の方にある。
草壁皇子も祭神として名を連ねているのは、壬申の乱のときに、父親の大海人皇子(のちの天武天皇)従い、宮路山山頂近くで守備にあたったことが縁になっている。
草壁皇子は、天武天皇の正式な後継者である皇太子になりながら、即位することなく没した。

神社の脇を通り、しばらく進んだところに登山口がある。

登山口から奥の院までは徒歩40分とあった。
ゆっくり行っても40分はかからない感じではあったのだけど、私は途中で道を間違えて50分くらいかかってしまった。標識のない分かれ道で尾根伝いへ進んでしまい、藪をかき分けかき分け突き進んだものの、沢で行き止まりとなった。踏み跡はあったからどこかへ続いているのだろうけど、普通に考えればあの道は間違いだとすぐに気づきそうなものだ。
分かれ道は右へ行くのが正解だ。

うっ、なんですか、この山道は。
駐車場から山頂までは徒歩20分という情報を得ていたから、軽いハイキング気分だったのに、こちらの山道はとてもそんなお気軽なものではなかった。トレッキングシューズが必要なくらいの道だ。

中腹の鳥居が崩壊している。

岩場剥きだしのところや、手をつかないと登れない急斜面などあり、途中、5度、6度と立ち止まらなくてはならなかった。
歩きと自転車で足は鍛えていても、心肺機能は鍛えられていない。はぁはぁのぜいぜい状態に陥る。
なんなんだ、この道は。と、下調べの甘かった自分を叱る。
デートハイキングでこのルートを選んでしまったら、彼女をカンカンにさせてしまうかもしれない。

駅から歩き始めて、参拝などの時間を含めつつ、1時間半くらいかかってようやく宮道天神社の本殿まで辿り着くことができた。
久々に低山ハイクをしっかり堪能させてもらった。ありがたいなぁと、思わねばならない。
賽銭箱がなくて社殿内に賽銭を放り込んだのだけど、考えてみたら二度払いしていた。拝殿ですでに払っていたのに、ここでも払い込んでしまった。どうりで賽銭箱がないはずだ。

本殿前から山頂までは5分もかからない。
階段の上からは人の話し声が聞こえていた。どうやらあそこが山頂のようだ。
後編につづく。
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