
PENTAX K-7 + DA 16-45mm f4
117系に乗って、甲西から石部へ。
1979年から製造された117系は、JR東海でもまだ見ることがある。名古屋近郊ではあまり見た覚えはないものの、中津川の宿場町トレインという臨時列車になっていたりするし、大垣あたりでも走っているとか。
それにしても、草津線はとても国鉄っぽい路線だ。非日常的な旅をしている気分になる。普段の生活で使っている人にしたら、ただの古い列車に過ぎないのだろうけど。

石部駅の駅前には、石部宿に関するミニ公園のようなものがあった。
駅の南には旧東海道が通り、かつては東海道五十三次51番目の石部宿があった。
江戸後期には、本陣2軒、旅籠32軒が1.6キロの街道筋に建ち並んでいたというから、けっこう大きな宿場町だ。京都から江戸に下る際、ちょうど夕方あたりで石部宿に辿り着くことから、初日の宿をここにとる旅人が多かったそうだ。新撰組局長時代の近藤勇もこの宿場の本陣に宿泊したという記録が残っている。

ここでもあまり時間が取れなかったのだけど、時間いっぱいまで歩いてみた。

東海道はその後幹線道路になったところが多く、宿場もかつての面影を残しているところは少ない。内陸だった中山道は、宿場も街道もわりと残っている。
ここ石部宿も、かつての名残を見つけるのは難しかった。古い建物もあまりない。宿場町だったといわれなければ分からないくらいだ。

宿場の面影というより昭和の面影が少し残るくらいだった。
歴史民俗資料館もあるようだけど、このときは見つけられなかった。

面白い姿をした山が見えた。

はがれかけたベンガラ色の格子に、わずかながら昔日の面影を見た。

草津駅の一つ手前、手原駅で降りるかどうか迷いつつ、やっぱり降りておくことにした。

国道1号線と国道8号線が交わる場所。
ここが中山道と東海道の合流点かと思ったけど違った。追分はもっと草津寄りにあった。

太陽が沈んでいく。ちょっとピンチ。
手原駅で降りたことは間違いではなかったけど、ここでの30分を草津に振り分けていれば、草津をもっと撮ることができたと思わないではなかった。

終点はもう目の前だった。列車に乗って、草津駅を目指した。

ちょっと長めのシリーズになってしまったけど、次回の草津編が最終回となる。
つづく。