
SONY α55 + MINOLTA 50mm f1.7 / TAMRON 90mm f2.8
多度駅から歩いて、木曽三川公園へとやって来た。
ところで、木曽三川公園というと、個人的には138タワーなんかがある一宮の印象が強い。どうして岐阜にも同じ名前の公園があるのかと長らく疑問に思っていたら、二つは飛び地ながら同じ木曽三川公園ということなんだそうだ。上流地区(三派川地区)が一宮で、岐阜県海津町は中流地区(中央水郷地区)になり、下流地区(河口地区)にはこれといった公園施設はない。全部あわせると日本一大きな国営公園らしい。そういうことだったのかと、ようやく疑問が解けてすっきりした。
木曽三川公園を訪れた一番の目的はコスモスだった。しかし、このときすでに時期が遅かったようで、終わった花が多かった。今年は天候不順でコスモスのタイミングを読むのが難しかった。早かったところもあれば、今頃見頃を迎えているところもある。台風の大雨で被害を受けたところも少なくない。
一枚目は、オヤジさんとコスモス。カッコイイおじさんはコスモスとの組み合わせでも絵になる。コスモスが似合うオヤジなんてのはそうめったにいるものではない。

秋の澄んだ青空が希望だったのだけど、この日は雲が多くて太陽は出たり隠れたりだった。

キラキラボケとコスモス。



状態のいい花が少なくて、まだまだ物足りなかった。今シーズンの間に、どこかでもう一度コスモスを撮りたいと思っている。

まだスイレンが咲いていて、ちょっと驚いた。

古い農家の家屋と水屋が復元されている。せっかくなので、少しのぞいていった。

木曽三川公園の南に、油島千本松原がある。
江戸時代中期の1754年、暴れ川だった木曽三川の堤防工事に薩摩藩士が駆り出され、14年の歳月をかけて難工事を完成させた。多くの犠牲者も出している。
治水工事が完成した折、薩摩藩士が堤防に日向松の苗を植えたのが始まりで、のちに松原として整備されて現在に至っている。樹齢200年を超える松も多いという。

特に松原ファンというわけではないのだけど、気づけばいろいろなところで松原を見ている。
気比の松原、三保の松原、御油の松並木など。こうなったら日本三大松原を制覇したいところだけど、残る虹の松原は佐賀県唐津なので、実現は難しそうだ。

川端でノラと出会った。
こんなところに住みついていてメシにありつけるのだろうか。

ススキ、エノコログサ、チガヤといったこの手の植物は、種類がとても多い。区別が難しいし、そもそも覚えようという気持ちになれない。
これはチカラシバだろうか。違うかもしれない。
いずれにしても、季節は秋だ。

黄色いヒガンバナに見えるのは、ショウキズイセン。ヒガンバナ科ではあるけど、ヒガンバナとは別物だ。
昔は沖縄などの南国にたくさん自生していたらしいけど、最近はあまり見なくなったとか。
東海地方に自生するようなものではないから、どこからから持ち込まれたものだろう。

治水神社にも挨拶に寄った。
宝暦治水工事の責任者、薩摩藩家老平田靭負を祭神として、昭和13年に創建された。
賽銭箱にニワトリが。

タワーには登らなかった。こんなときくらいしか登る機会はないだろうと思いつつも、登る明確な理由が思い浮かばなかった。高いところから木曽三川を眺めても面白いとは思えなかった。夕焼けどきなら登っただろうけど。
木曽三川公園をあとにして、更に東へと進んだ。とりあえず目指したのは、ハスで知られる立田だった。
つづく。