
PENTAX K-7 + FA 50mm f1.4
天竜浜名湖鉄道の前身は国鉄二俣線で、もともとは掛川から二股を通り、岐阜県恵那(かつての大井)までを結ぶ計画で建設が始まった路線だった。
昭和10年(1935年)に、掛川と遠江森間の12.9kmで開業した。
路線を伸ばしていく途中に戦争があり、東海道本線が敵の攻撃で寸断されたときの迂回路として、終点は恵那から新所原に変更となった。全通は昭和15年(1940年)のことだ。
全線単線非電化のローカル線として赤字が続き、昭和59年には廃止が決定した。
その後、昭和62年に第三セクターの天竜浜名湖鉄道として生まれ変わり、現在に至っている。
掛川-新所原間、67.7キロ。乗り通すと2時間。途中、38の駅を持つ。
私はJRで掛川まで行き、戻る格好で新所原を目指すコースをとった。夕焼け時間に奥浜名湖でクライマックスを迎えたいと思ったからだ。
ダイヤは基本的に1時間に1本となっている。できるだけたくさんの駅で降りたかったから、駅と駅の間をよく歩いた。駅間が1キロとか2キロのところがたくさんあるので、降りて歩いて1時間後の列車に乗って、ひとつ、二つ先の駅で降りて、また次まで歩くというパターンを繰り返した。これで半分近くの駅を見ることができた。
旅の始まりは掛川駅から。JRの掛川駅とはホームでつながっている。もとは国鉄同士だから、当たり前か。

左上に新幹線が走っている。掛川駅はこだまがとまる。新幹線の駅とは思えないような駅なのだけど。

最初に降り立ったのは、掛川から4つ目のいこいの広場駅だった。
天浜線は、平成に入って3つ駅が新設されている。平成8年に掛川市役所前駅とフルーツパーク駅が、平成21年には大森駅が誕生した。
ここでいきなり雨が降り始めた。天気予報では一日晴れマークだったので、もちろん雨具は持ってきていない。
結局、一日中雨が降ったりやんだりが続くことになった。

いこいの広場駅と次の細谷駅の間は特に短く、直線距離で500メートルしか離れていない。
田んぼの道から両方の駅が見えるくらいだ。

このあたりは田植えが早い地区らしく、すでにだいぶ稲刈りが終わったところだった。
青空の下、黄金色に実った田園の中を行く天浜線を撮る、という目論見は外れた。
全線を通じて田園風景の中を行くというわけではなく、田んぼと絡めるとなると場所は限られる。今回は降りなかったのだけど、車窓から見た限り、はままつフルーツパーク駅あたりがよさそうだった。

雨を受けて咲くのは、芙蓉だろうか。
線路脇の風景にも季節感がある。

細谷駅の待合室。
昭和から少ししか時間が動いていないのが天浜線だ。
今年、平成23年に、駅舎など36の施設が国の登録有形文化財に指定された。

現在の主力車両はTH2100型で、たまに宝くじ号がやって来る。上の写真のものがそれだ。
茶色のやつも走るらしいのだけど、この日は天竜二俣駅の奧に停車しているところを見ただけだった。
天浜線は、車両の団体貸切もやっている。一般車で基本料1万2,000円プラス最低35人分の運賃となっている。

細谷駅から乗って、次の原谷駅(はらのや)で降りた。これはそのホームだ。
手作りの風車が風に吹かれて回っていた。

原谷駅の改札口。
主要駅以外は無人駅なので、車内で整理券を取って、降りるときに現金で運賃を払う方式になっている。バスと同じだ。定期や一日フリーきっぷは運転士に見せて列車を降りる。

原谷駅の駅舎も、文化財登録となっている。とても雰囲気のある駅だ。

次の原田駅まで歩くことにした。
途中、鉄橋を行く列車を捉えることができた。
移動していると上り列車がやって来るから、駅から駅の間のどこかで一回、撮るチャンスがある。天浜線は乗ることと歩くことを組み合わせることで撮影に向いた路線になる。

旧街道の趣が残っている。
この先、だんだん奥まった地区になっていく。

原田駅で待っていると、カーブの向こうから列車がやってきた。
いったんやんだ雨がまた降り始め、少し強くなった。
今回はここまで。次回に続く。