尾西線の風景 <前編>

鉄道(Railroad)
尾西線1-1

PENTAX K-7 + FA 50mm f1.4



 濃尾大花火があった日、尾西線の奥町駅は、それなりの賑わいを見せた。普段の乗客数がどれくらいなのかはまったく知らない。一宮に近く、名古屋駅へも30分程度で行けるから、思っているより利用客は多いのかもしれない。
 濃尾大花火に公共交通機関で行く場合、一宮からシャトルバスで行くのが一般的で、尾西線を利用する人は少ないようだった。行き帰りともにそこそこ見物客はいたものの、混雑というところまではいかず、便の増発もなかった。奥町駅から花火会場の入り口までは1キロちょっとなので、それほど遠いというわけではない。
 私のように、あえて尾西線に乗って、尾西線を撮ろうというような人は見かけなかった。見物の人たちが木曽川方面へ向かって歩いて行くのを見送るように、私は北の玉ノ井駅を目指した。

尾西線1-2

 尾西線の前身は、尾西鉄道だ。
 1898年(明治31年)に、弥富駅と津島駅を結ぶ鉄道として開業した。
 他の路線と同じく、様々な紆余曲折があり、名鉄が尾西鉄道を買収したのが、1925年(大正14年)。
 線は延びたり、縮んだりして、現在は弥富駅から玉ノ井駅までを結んでいる。
 玉ノ井以北に、かつて木曽川橋駅や木曽川港駅があった。更にさかのぼると、木曽川橋駅を降りた乗客は歩いて木曽川橋を渡り、笠松駅から岐阜駅を目指した時代があったという。途中に徒歩が入る路線なんて、今では考えられない。
 尾西線は全線がローカル線というわけでもない。佐屋駅と津島駅の間は特急も走っている。
 ローカル線色が強いのは、やはり、名鉄一宮から玉ノ井の間だろう。地元の人たちは玉ノ井線と呼んでいるとか。
 この区間は、単線で折り返し運転をしている。だいたい1時間に2本くらいだ。

尾西線1-3

 奥町駅は大正3年に建てられた木造駅舎だというのをネットで見て、今回それも楽しみにしていた。
 しかし、時すでに遅しで、すっかり新しい駅舎に建て替えられ、昔の姿はどこにもなかった。数年前までは木造駅舎だったはずだ。
 駅舎の前にあったはずの丸ポストも、駐車スペースの片隅に追いやられていた。
 古い時代の名残を見つけて写す。5は何の数字だろう。

尾西線1-4

 上り下りとあわせると1時間に4本で、折り返し運転なので、15分間隔くらいで列車が来る。沿線を歩きながら撮るにはちょうどいいくらいだった。

尾西線1-5

 線路沿いに道があるところは少なく、踏切を渡ってあっちへ行き、また反対に踏切を渡ってこっちというような歩きになる。
 歩いたのは一駅分なので、それほど風景に大きな変化はないものの、初めての町ということもあって、新鮮に映った。
 瀬戸線を撮るのと感覚的には似ている。

尾西線1-6

 車の発達によって廃線になった路線は多い。
 廃業したガソリンスタンドに、また時代の移り変わりを見る。

尾西線1-7

 鉄道が町の風景の一部になっている。ここで暮らす人たちにとっては当たり前の光景で、写真の被写体になるとは思いもしないかもしれない。
 よそ者だからこそ写せるその町の風景というものもある。

尾西線1-8

 かつては立派な家だったんじゃないだろうか。

尾西線1-9

 線路のカーブが好きで、列車がいなくても撮ってしまうことが多い。
 家と線路の距離が近い。

尾西線1-10

 踏切には風景がある。

尾西線1-11

 昔の工場の名残だろうか。こんな三角形の屋根がたくさんあった。

 後編につづく。
記事タイトルとURLをコピーする
コメント
コメント投稿

トラックバック