
PENTAX K-7 + TAMRON 10-24mm f3.5-4.5 / FA 50mm f1.4
桶狭間からほど近い旧東海道沿いに、有松絞りで知られる有松の町がある。
昭和48年に有松まちづくりの会が発足し、昭和59年に名古屋市の町並み保存地区第一号になったところだ。
地鯉鮒宿(知立宿)と鳴海宿の間に、茶屋集落として作られた間の宿(あいのしゅく)で、尾張藩の庇護のもと、名物・有松絞りによって発展した町だった。
東海道五十三次というのは、幕府が正式に認めた宿場町で、それ以外の場所で勝手に宿場を作ることはできなかった。いくつかある間の宿と呼ばれるところもそうで、本陣や旅籠などはなかった。なので、正確には宿場町とは違う。
江戸時代に入るまで、このあたりは未開の地だったようだ。民家もなかった。
ただ、のちに東海道として整備される道は古くからあり、桶狭間の戦いでも両軍は東海道を進軍している。
尾張藩の奨励によって、阿久比村から数軒がこの地に移り住み、開拓を始めることになった。土地を耕すところから始め、細々と農業で食いつないでいたようだ。
その中に竹田庄九郎という人物がいた。かつて九州の豊後絞りを見た庄九郎は、少しでも生活の糧にしようと独自の絞りを開発して売り出した。
のちにそれは有松絞りと呼ばれ名物となっていく。参勤交代やお伊勢参りで人々が東海道を行き交うようになると、有松絞りは多くの人々に知られるようになり、尾張藩も独占販売させたことで有松の町は発展していくことになる。
しかし、絞りはなかなか高価で、庶民にはおいそれと買えるものではなかったらしい。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の中で、弥次さんは手ぬぐいしか買えなかった。
現在、町並みは約800メートルが保存地区に指定され、往時の面影をとどめている。
私がここを訪れるのは5、6年ぶりで、少し様子が違っていた。

東のエリアは電柱が地中化されて、景観がとてもすっきりした。電線がないと写真を撮っていても気持ちがいい。
それと、去年から一方通行になったようだ。通り抜けの道として地元の車がひっきりなしに往来していて、以前はおちおち散策していられなかった。
一方通行反対という張り紙があって、地元の人にとっては迷惑だったようだけど、観光客にとっては安全さが増してありがたい。

すべてが古い家というわけではもちろんなくて、新しい家と古い家屋が混在している。
それでも、名古屋市内でよくこれだけ残ったものだ。保存活動を始めるのが早かったのがよかった。

絞りの実演コーナーには名物のおばあちゃんがいて、絞りを売る店もある。絞りの製品は今でもけっこう高めなのだと思う。
観光地要素は薄く、よくありがちなお土産屋のたぐいはない。

高い煙突があり、路地を入った先に銭湯があった。今でも営業しているのかどうかはよく分からない。

古い家屋を利用した食べ物屋さん。
飲食店も少ない。

名古屋市内で宿場町の風情が残っているのはここだけだ。歩いていると、市内ということを忘れて、旅先に来ているような気分になる。

江戸時代中期の1784年、天明の大火によって町はほぼ全焼してしまう。
再建にあたって、茅葺き屋根を瓦葺きにして、壁は塗籠造(ぬりごめづくり)にした。2階の窓は虫籠窓とし、防火対策が施され、新たな町並みが出来上がった。それが現在まで続いている。
京都の町屋のように間口が狭い町並みではなく、横長のゆったりした構えの家屋が並ぶのも特徴となっている。

唐獅子山車庫。
町では3台の山車を所有しており、10月の有松祭りではそれらの山車が曳き回される。

大きな通りを一本越えて西エリアに入ると、こちらはまだ電柱がそのままだ。地中化の予定があるのかどうか。車も行き交う。

こちらにも立派な古い家屋が並んでいる。

少し中に入り、踏切を越えた先に、有松天満社がある。
もともとは近くにある祇園寺の境内に祀られた小さなお社だったそうだ。
1791年に独立させてこの地に移し、社殿は1810年に有松絞りで成功した商人が建てたらしい。
長らく有松の産土神として親しまれ、有松祭りは、この天満社の例祭として行われている。

町の西のはずれにある祇園寺。
江戸時代以前の1590年代に創建された寺で、もとは鳴海にあって、円道寺といっていたそうだ。
1755年にこの地に移され、名を祇園寺と改めた。

記憶の中にあった有松と、今回訪れて見た有松と、大きな違いはなかったものの、今回の方が印象がよかった。電柱の地中化と一方通行化だけが要因ではない。他でいろいろ古い町並みを見てきて、あらためて有松を見たとき、こんなによかったんだと再確認できたせいかもしれない。
市内の中心からは離れているものの、名鉄が通っているので不便な場所ではない。
本編に載せきれなかった写真は続きで。

服部家住宅だと思う。

お米券とか小豆とか米粉なんかを売っている店。

なまこ壁は土蔵に用いられることが多いのだけど、有松では家屋にも使われている。格子造りとのドッキングも有松の特長の一つだ。

名鉄の踏切の向こうに鳥居が見えている。あれが天満社だ。

天満社の長い上り階段。
小高い丘の上にある。
町を一望できるかといえば木が邪魔でそうはいかない。

拝殿からのぞき見る本殿。
天満社ということで、牛がいる。
陶製らしい狛犬も本殿の前に座っている。

アジサイがまだ少し咲き残っていた。
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