
PENTAX K-7+TAMRON 28-78mm f2.8
トヨタ2000GTを抜きにトヨタ自動車は語れない。トヨタはもう、トヨタ2000GTを超える車は作れないだろう。これは生まれたときから伝説となることを宿命づけられた車だった。
発売は1967年。生産終了までの3年間で、337台が生産された。
発売当時の価格は238万円。現在の価格に換算すると2,000万円程度とされる。しかし、何しろ生産台数が少なかったから手に入れるのは難しかったことだろう。
私はスーパーパーブームのときに、走っているのを何度か見たことがある。現在は何台くらい動ける状態で現存しているのだろう。
今でも間近で見ると、胸の高鳴りを感じる。こんなに見ているだけでワクワクさせてくれる車はめったにあるものじゃない。ただカッコイイとか速いとか、それだけでは語り尽くせない。何か持っているというやつだ。
これだけ高額な販売価格だったにもかかわらず、トヨタは作れば作るほど赤字だったという。当時の最先端技術を惜しみなくつぎ込み、最高の素材を使って、手間暇かけて作ったことで、まったくコストに見合わないものとなった。社名を高めるための宣伝費と考えれば安かったかもしれない。
実はこの車、実質的にはヤマハ発動機が作った。トヨタはボディのデザインと販売をしたくらいで、エンジンもシャーシも内装も、組み立てまでもヤマハでやっていた。このときのトヨタは、スポーツカーに関するノウハウをほとんど持っていなかったのだ。ヤマハはオートバイで培った技術に加えて、楽器作りの知識や技術まで導入して、こいつを作り上げた。
ヤマハはそれだけの技術力を持ちながら、何故か自動車業界に進出することはなかった。F1などにエンジン提供をしていたのに、自動車メーカーになろうとはしなかった。トヨタ2000GTは、ヤマハが作った最初で最後の最高傑作という言い方もできるかもしれない。
もし、トヨタ2000GTの試乗会が行われるとなったら、全国からたくさんのおじさんたちが押し寄せることになるだろう。

三菱 コルト ギャラン GTO-MR型。1971年。
パッと見、セリカかと思ってよく見ると、コルトギャランだ。
なかなか硬派な車で、昔も今も根強い人気がある。
三菱は自分も周囲も縁がなかったけど、なかなか渋い車を作っている。

いすゞ 117クーペ PA90型。1970年。
いすゞといえば117クーペという時代が長く続いた。全盛期は1970年代だったろうけど、90年代に入ってもけっこうよく見かけた。販売に関しても息の長い車だった。
かなり独特のデザインで、当時も異彩を放っていたけど、今見てもそれは変わらない。好きな人にはたまらないよさがあったのだろう。

ダットサン フェアレディ SP310型。1963年。
その後のフェアレディZの元になったスポーツカーだ。第1回日本グランプリ1300~2500ccクラスの優勝がこの車だった。
1960年代に入ると、人々は車に利便性や快適性だけでなく、スポーツの要素も強く望むようになっていった。日本車もレースに参加するようになり、一般向けの車もスポーツカーというジャンルが確立されていった。

ホンダ S500 AS280型。1964年。
ホンダ初の四輪自動車は、チャレンジャーのホンダらしく小型スポーツカーだった。
販売期間は1963年10月から12月にかけてと、きわめて短いものだったにもかかわらず、ホンダ初期の代表作として長く語られてきた。
バイクの技術を流用した左右別チェーン駆動というちょっと驚きのデザインで、走行中にチェーンが切れると恐ろしいことになるらしい。
こんな車をセカンドカーとして所有していると、カーライフは楽しくなりそうだ。

トヨタ7。1970年。
いきなり時代が飛んだかと思わせて、実はこの車、1968年に開発されたものだ。
トヨタ2000GTではレースに勝てないということになり、レース専用の車として開発されたのが、このトヨタ7だった。このときもやはりヤマハの力を全面的に借りている。
1968年製とは思えないほど外観の完成度は高い。今のレースで走っていてもあまり違和感がないような気がする。

プリンス R380-I。1966年。
プリンス自動車工業が開発した日本初のプロトタイプレーシングカー。
元々、スカイラインやグロリアを持っていたのはプリンスで、その後ニッサンに吸収合併されて、日産プリンスとなった。この車も、のちにニッサンプリンスR380と改められた。
レースにおいてポルシェを破るなど、日本レーシング界初期を代表する車だ。

ニッサンプリンス スカイライン 2000GT-B S54型。1967年。
日本で初めての本格的なグランド・ツーリングカー(GT)で、スカG神話はここから始まった。
これも元はプリンスが開発した車だ。
この後、ハコスカ、ケンメリ、鉄仮面、R31、R32 GT-Rへとつながっていくことになる。

MR2になってしまうと、完全にオンタイムだから懐かしさはない。今でもごくたまに見ることがある。
日本初の量産型ミッドシップスポーツカーで、当時の走り屋には人気が高かった。走りは楽しいという評判だった。
完全な2シーターと思われがちだけど、無理すれば後部に乗ることもできる。車内はエンジン音がかなりうるさくて、落ち着いた会話ができなかった記憶がある。マフラー交換なんかしてると余計に。
それにしても、最近のトヨタはこういう面白い車を作らなくなってしまった。ホンダもそうだ。若者が買えるスポーティーカーの需要はあると思うのだけど。

愛・地球博にトヨタが出展したi-unit。
立った状態の低速走行と、寝た状態の高速走行ができる。
近い将来、車は乗るものではなく着るものになるというのが、トヨタが出した一つの答えだ。
子供の頃は、自分が大人になったときには、車は空に浮かぶ透明のチューブに入って走っていると思っていた。未来は思ったよりもやってこないものだ。
次回は最終回で、新館編をお送りします。
つづく。