
PENTAX K-7+TAMRON 28-78mm f2.8
トヨタ博物館の3階は、日本車ゾーンになる。
日本初の自動車は、1904年の山羽式蒸気自動車とされている。名前の通り、蒸気で走る車だった。
初のガソリン車は、1907年のタクリー号だ。10台ほど製造されたという。
1911年にはニッサンの源流である快進社自働車工場が、エンジンも含めたオール国産車の開発に成功。
その8年後、日本初の量産車である三菱A型が三菱造船によって作られた。
名古屋では1932年にアツタ号というのが制作されている。
トヨタはやや遅れて1936年、トヨダAA型で参入を果たした。
その後は戦争で車どころではなくなり、本格的に自動車が大量生産されるようになるのは、戦後しばらく経った1940年代後半になってからだった。終戦直後は、物資不足やアメリカ軍が目を光らせていたこともあって、そう簡単なことではなかった。それでも、1960年代には自動車が一気に庶民のものとなり、爆発的に増えていったのだから、たいしたものだ。
一枚目の写真は、マツダ・R360クーペだ。
1960年に発表されたこの車で、戦後初めてクーペという名前が使われた。以降、クーペは2ドア・スポーティータイプの代名詞となる。
全体のデザインは、まだまだ洗練されているとは言えないものの、フロント部分はなかなか洒落ている。
マツダはすでにこの頃からロータリーエンジンだった。

トヨペットクラウンRS型。1955年。
トヨタ初の純国産車の量産型。
今の感覚からすると、まだ車体は小さい。でも、6人乗りだ。ドアは観音開きタイプになっている。
当時の社長が乗りそうな車だ。映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に登場したのは、クラウンデラックスRSD型だった。

日野ルノー PA62型(だったと思う)。1962年。
現在はトラックなどで知られる日野自動車も、かつてはルノーと提携して、こんな自家用車を作っていた。
のちに独自の設計で、国産車のコンテッサ900や1300を作るようになる。

スズキのスズライトSL型。1957年。
大工だった鈴木道雄は、繊維工場の成功を追い風に、バイク業界に進出してそこで実績を積み、自動車産業に殴り込みをかけた。
1954年に試作車を完成させ、翌年にはセダンのSS、ライトバンのSL、ピックアップのSPの3タイプの発売を開始した。しかし、セダンとピックアップは今一つ人気が出ず、ライトバンのSL一本に絞ることになった。上の写真がそれだ。
まだ少し、試作車の名残が感じられる。

ひときわ目を惹く一つ目小僧。
富士自動車のフジキャビン5A型。1955年。
後輪が1つ、前輪が2つの三輪キャビンスクーター。
FRPのボディは130キロ。2サイクルエンジンの最高速度は60キロだった。
画期的な試みも、商業的な成功には至らず、わずか85台が制作されただけだった。
やわすぎるボディで、乗り心地が悪く、煩雑な操作とクーラーやヒーターが効かないという、運転することが苦行のような車だったらしい。ヘッドライトが一つなのは、経費削減のためだったという理由も泣かせる。

ダイハツ ミゼット DKA型。1959年。
オート三輪は、私が物心がついた頃はまだわずかに走っていた。全盛期は1950年代だ。
各メーカーからいろいろなオート三輪が発売された中で、ダイハツのミゼットはその決定版といえるものだった。
日本ではほぼ絶滅したオート三輪ではあるけど、東南アジアや中国では、今でも普通に走っている。日本でも今だからこそ、新しいオート三輪は需要があるようにも思う。

ホンダのスーパーカブ CA100(C100の輸出用モデル)。1962年。
うちのじいちゃんがこの赤いのに乗っていた。大学生のとき、一度だけ乗らせてもらったことがある。だから、懐かしかった。
ホンダのスーパーカブは、世界で最も作られた二輪車で、世界の至る所で今でも走っている。

トヨペット クラウン RS-L型。1958年。
クラウンのレッドボディは斬新な感じがする。
トヨタが満を持してアメリカ市場に送り込んだのが、このRS-L型だった。
大成功とはいかなかったものの、アメリカ進出の第一歩となった。

トヨペットコロナハードトップ RT50型。1965年。
国内初のハードトップ車で、デザインと走りを両立させることに成功して、人気を博した。
このあたりになると現役で走っている姿を見ているかもしれない。デザインもだいぶ現代のものに近づいてきた。

トヨペット クラウン RS41型(だと思う)。1963年。
なんてカッコイイ鏡面仕上げ。今どきの新車にも負けてない輝きだ。
初代からモデルチェンジした2代目のトヨペットクラウン。ボディもやや大きくなって、高級感も増した。

現代に近づくほど馴染みのあるデザインになって、垢抜けていく一方で面白みがなくなっていく。自動車はこのあと、ますます画一化され、大衆化していくことになる。
それと平行して、一般向けのスポーツカー路線が拡大していく。次回は、いよいよ真打ちに登場していただこう。
つづく。