名鉄終点の旅・御嵩駅編 <岐阜旅第二弾その1>

観光地(Tourist spot)
御嵩-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 岐阜旅第二弾は、11月の終わりだった。すでにひと月以上が経った。12月のイベントネタを優先していたら、始めるきっかけを失った。それを12月31日から始めるのもどうかと思うけど、他に季節柄のネタもないし、今日から始めることにする。
 今回は、名鉄終点の旅でもあった。名鉄の行き止まりまで行ってみようシリーズで、河和、中部国際空港、碧南、東名古屋港と、南エリアはだいたい回ったので、北に目を移してみると、北東に一つ、御嵩駅(みたけ)というのがあった。
 御嵩自体は、車で何度か行ったことがある。ササユリで知られるみたけの森や、奇岩の鬼岩公園を訪れた。
 名鉄の広見線は、犬山から東へ向かい、可児を通って、御嵩に至る。新可児から御嵩までの間を、名鉄はなんとか廃止しようとしており、近隣住人や自治体がどうにか食い止めているという攻防がここ数年続いている。今のうちに乗っておかないと、近い将来なくなってしまうかもしれない。犬山のモノレールも廃止されてしまった。
 そんなわけで、今回の岐阜旅は、御嵩町から始まった。

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 駅を出てすぐのところに、地元では蟹薬師と呼んでいる願興寺がある。
 平安時代初期、最澄の開基とされる歴史のあるお寺で、御嵩はこの願興寺の門前町として発展してきた。
 薬師如来が蟹の背中に乗って現れたという伝説があって、そこから蟹薬師と呼ばれるようになったという。
 正面に見えているのが本堂で、安土桃山時代の1581年に再建されたものだ。 
 1108年に一度戦で焼けたあと、1572年に再び武田軍によって焼かれた。
 建築様式は、四周一間通りと呼ばれる珍しいもので、四方の回廊から本尊を拝むことができるようになっている。
 鐘楼門も江戸時代初期の1670年に建てられたもので、こちらも風格がある。

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 本堂の屋根には魔除けの蟹が乗っているらしいのだけど、気づかなかった。

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 江戸時代に入ると、中山道49番目の宿場町として整備され、賑わいを見せた。
 看板にもあるように、当時は御嶽と表記していた。御嵩になったのは、明治の始めのことだ。
 江戸時代後期に、本陣1、脇本陣1、旅籠28軒だったという記録が残っている。規模としてはあまり大きくはない。
 明治になると宿場町は衰退し、代わりに亜炭がたくさん採れたことで、炭坑町となる。
 少し前に御嵩で陥没事故が起きたというニュースがあったのを覚えている人もいると思う。あれは亜炭を採掘したあとにできた空洞によるものだ。
 その亜炭坑も、時代と共に終わりを迎え、昭和42年には閉山された。

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 現在の御嵩町は、わずかながら古い町並みの面影をとどめている。最近は宿場町を歩く人も増えているから、御嵩にもそれなりに人が訪れているようだ。
 本陣の野呂家の家屋も残っており、脇本陣は中山道みたけ館という資料館になっている。

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 宿場町の風情もいいけど、やっぱり路地に惹かれる。細い道を見つけると、そっちの方に入っていってしまいがちだ。
 この木はご神木だろうか。木の前に小さな社がある。

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 格子の町屋造りの家が少し残っている。

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 昭和の名残もある。

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 こういう風合いがいい。

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 マンホール蓋のデザインは松だ。アカマツらしい。
 御嵩といえばアカマツが有名なのだろうか。松並木のようなものはなかったと思うけど。

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 宿場町だったエリアを抜けて、もう少し先まで進んでみた。広い田園風景が広がっていた。
 このあたりに和泉式部の墓があるというので探してみたのだけど、結局見つけることができなかった。
 数々の恋愛遍歴で知られる平安の歌人、和泉式部だけど、なかなか苦労もしたようで、晩年のことについてはよく分かっていない。
 どうして御嵩あたりで命を落としたという伝承が生まれたのか知らないけど、そういう言い伝えがあったようで、この地に墓所が作られた。同じような話は、岩手から兵庫まで、何ヶ所かある。 
 墓所には、「ひとりさへ 渡れば沈むうき橋に あとなる人はしばしとどまれ」という句碑が建っているそうだ。

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 引き返して、古い建物などを撮りつつ、目的の一つだった愚渓寺を目指す。

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 なかなか面白いところに生えている。

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 今となっては懐かしささえ感じる紅葉風景。

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 生活感のある景色。

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 室町時代の1396年、妙心寺第5世・義天玄承(ぎてんげんしょう)によって創建された愚渓寺は、江戸時代の後期になって御嵩の現在地に移された。元々はもっと北の方にあったらしい。
 見たかったのは、京都龍安寺の石庭の元となった臥竜石庭(がりゅうせきてい)だ。
 なるほどこれがそうかと思いつつも、石の乱れがどうにも気になった。残念ながら手入れが行き届いていない。誰かが入ったにしては、足跡が中途半端で、どうしてこのまま放置してあるのかもよく分からない。

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 きれいなところを切り取れば、美しさが分かる。
 水の流れや、すべての流れを表しているのだということが分かった。生々流転、万物流転、すべては移ろい、変化し、とどまることがない。そして再び巡る。

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 石庭を見たことで満足して、御嵩をあとにした。
 もう一度電車に乗り、次は岐阜駅を目指す。
 その話は、また次回ということで。
 何気なく年を越した。
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