美濃市はよかった ~前編 <岐阜旅その4>

観光地(Tourist spot)
美濃市1-1

PENTAX K-7+PENTAX DA 16-45mm f4



 岐阜旅第一弾の最後に、美濃市を訪れた。
 美濃和紙の産地であり、うだつの上がる町として、近年人気が高まりつつある町だ。個人的な感想を言えば、それほど期待していなかったせいもあって、とても良い印象を持ち帰ることになった。郡上八幡ほど観光地化されていない分、町並みがしっとりと落ち着いていて、心安らぐ雰囲気を持っている。訪れたのが夕方から夜にかけてという時間帯もよかったかもしれない。
 奈良、平安の時代から和紙作りが盛んな土地で、江戸時代には特産品として幕府からも認められて、全国で知られるようになった。
 この町の基礎を築いたのは、金森長近だ。
 長近は、美濃の多治見の生まれで、近江に流れ、18歳で信長のオヤジさんの信秀に仕官した。
 その後、信長、秀吉、家康と仕え、最後の隠居地となったのが、ここ美濃市だった。
 数々の武勲をあげ、秀吉から飛騨一国を与えられて、飛騨高山藩初代藩主となった。
 関ヶ原では東軍側に回って、郡上八幡城攻めなどで活躍した。それを認められて、家康から美濃を加増された。
 高山城を養子の可重(ありしげ)に譲り、自分は隠居のための城を長良川湖畔に築いた。現在の町の北、小倉公園となっているところに小倉山城があった。現在の町割りはそのとき整備された城下町のもので、江戸時代と変わらず残っている。
 当時、この地は上有知(こうずち)という地名で、美濃町になったのは明治44年のことだった。美濃和紙にちなんで名付けられたものだ。
 小倉山城は早々に廃城になってしまうも、長良川に作られた上有知湊を起点に、水運業などで栄えることになる。

美濃市1-2

 うだつが上がる、上がらないといううだつは、屋根と屋根との間に作られた防火壁のことをいう。
 当時は裕福な家だけが、うだつを作ることができたことから、うだつが上がらないというのは甲斐性がないといった意味合いで使われるようになった。最近ではあまり使われなくなったけど、出世できない人間みたいな使われ方をよくする。
 美濃市の家並みは、うだつがずらりと並んでいる。それだけこの町が栄えていたという証だ。

美濃市1-3

 古い家屋がかなり残っている。
 1999年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
 電柱や電線を地下に埋めているから、景観もすっきりしている。

美濃市1-4

 観光客もそれなりに訪れているものの、郡上八幡ほどわんさかいない。
 高山も人が多いし、美濃市くらいはこれくらいの賑わいでとどまっていて欲しいと思った。適度な活気があって、今がちょうどいいくらいじゃないだろうか。

美濃市1-5

 写真を撮るにももちろんいいところなので、カメラの人も多かった。
 車通りが多いのは、まあ仕方がないところではある。

美濃市1-6

 ここで暮らす人たちにとっては、観光地でもなんでもなく、見慣れた町並みだ。
 10年前まではこんなに観光客が訪れていなかっただろうから、お年寄りなどは戸惑っているかもしれない。

美濃市1-7

 町並みは古くても、歩いている女子高生は今どきだ。

美濃市1-8

 ちょっとした演出のサイダー。
 町の雰囲気として、足助に少し似ている感じがした。

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 ビデオ撮影の一隊がいた。少人数だったから、ロケハンか、素材撮りか何かだっただろうか。
 撮影していた人は、昔ながらの映画人みたいなオールドスタイルだった。

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 うだつのシルエット。日没時間が近づいてきた。

美濃市1-11

 隙アリ。こういう町の隙みたいなのを見つけて撮るのが好きだ。
 あまりきれいに装いすぎている町は魅力がない。少し油断してるくらいでちょうどいい。

美濃市1-12

 古そうな看板。
 網で透けてるタイプはあまり見かけない。

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 暮らしの潤い。
 格子とよく似合っている。

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 雰囲気のある店構え。

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 なまこ壁で黒塗りのきれいな土蔵。新しいものなのか、お色直しをしたのか。

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 これも古そうなお屋敷だ。

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 町を離れて、湊灯台を見るために長良川へ向かった。

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 観光エリアからは外れるけど、このあたりの町並みも好きな感じだ。

美濃市1-19

 長良川河畔に着いたときは、太陽は山の向こうに沈んでいた。夕焼け色がまだ残っていた。

 美濃市後編につづく。
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