
PENTAX K-7+PENTAX DA DA 16-45mm f4 / 55-300mm f4-5.8
モノクロで撮る、人がいる風景。
人々の営み、日常、関係性。そして、歳月。
人はみな孤独だ。だから、人とのつながりを求める。
人は生き、人と出会い、新たな命が生まれ、育て、歳を取る。
そういった営みを愛おしいと思えるようになったことが嬉しい。
自分という存在を消して、自分はこの世界を見守っているような気持ちで写真を撮っている。
それは、モノクロだからこそ表現できるものかもしれないと、思い始めている。

ローカル線の車内。乗客は少なく、席も空いている。
女の人が一人、一番前に立って車窓の景色を見ていた。
鉄の人ではなかったようだけど。

私自身、自転車の人となって半年以上が経った。
信号待ちで自転車の人と並ぶと、なんとなく仲間意識みたいなものを感じる。たぶん、向こうは感じてないだろうけど。

バイクマンたち。
バイクの人たちは、仲間意識よりもライバル心が強いんじゃないだろうか。ちらっと横目で相手のマシンを確認して、勝った負けたと心の中で思っているに違いない。
青信号になったときの飛び出しもレースだ。

働くおじさん。いや、お兄さんか。
広角でできるだけ引きつけて撮る、というのが最近のテーマとなっている。できれば、至近距離から撮りたい。

でもやっぱり、望遠でしか撮れない光景もある。

カップルの後ろ姿くらいいいものはないと思う。
自分たちはまず目にすることはないものだから、せめて見ず知らずの私が写真に撮っておこう。

家族の肖像。

郵便ポストの前で。

言うことを聞かない息子二人に手を焼くお母さん。
手には買い物の袋をたくさん下げている。

元気に行進して踏切を渡りましょう。

穏やかな秋の午後、ベンチでの語らい。
母と娘だろうか。

手ブレてしまったけど、好きな写真なので。

確かにこの日は小春日和だった。
でも、ノースリーブはない。頭にはくたびれた麦わら帽子。長髪を後ろで結んでいる。
どんなおじさんなんだこの人は、と思う。

フィルムカメラ使いのお父さん。
写真は記録の時代から表現の手段となり、共有がテーマとなった。
まだまだフィルムの味は捨てがたい。

あるお年寄りが言っていた。自足歩行できるのはエリート老人だ、と。
歩けるというのは、考えているほど当たり前のことじゃない。

電車の中でうとうとして、目が覚めて前の座席を見たらこの光景だった。
電車って、眠たくなる。

古い商店街とおばあさん。
明治生まれのお年寄りが町を歩いている確率はかなり低くなった。一番若い明治生まれでも100歳が近い。

女子高生でキャピキャピしていたとき、ずっとあとになってベビーカーを押しながら歩いてる自分の姿は想像できなかっただろう。
時は流れる。
それでも、生きていることの正義みたいなものはある。