
PENTAX K-7+PENTAX DA DA 55-300mm f4-5.8 / 16-45mm f4
長久手の県立芸術大学の近くに、愛知農業総合試験場という施設がある。ここの通りにモミジバフウ並木があって、秋になるときれいな紅葉が見られることはあまり知られていない。
去年は11月3日に訪れて、少し早かった。今年もそろそろだろうと見にいったら、まだ全然早すぎた。今年は夏が長かったから紅葉も遅れがちのようだ。それでも、色づいている部分だけを切り取ると、なかなか悪くない。
去年のブログでも書いたように、2005年に初めて訪れて、そのときの荒廃した感じが強く印象に残っていた。去年は並木道が陥没による通行止めになっていて、奥まで入ることができなかった。実は正面入り口からは入れたのだけど、そちらの入り口の存在を知らなかった。だから、今年は久しぶりに中まで入っていって、更に進行したであろう荒れっぷりを写真に撮ろうと思っていた。しかしそれは、思いがけない形で制止されることになる。

通行止めだった並木道もきれいに整備されていた。
相変わらずひとけはない。
並木の色づき具合はこの通りで、染まっている一部を除いては、まだ青々とした状態のままだ。きれいに紅葉するまでにはまだ1週間か10日くらいはかかるんじゃないだろうか。
場所は少し分かりづらい。リニモ沿いのグリーンロードの芸大通り交差点を南に入って、しばらく進んだ左手が西入口になる。北の正面入り口は、芸大へ向かう道の途中で右手に進んだ先だ。
観光地ではないので、案内も最小限しかない。私は二度も行ってるのに、また迷ってしまった。

今回は自転車だったので、ずんずん奥まで入っていった。基本的に人の気配はあまりなく、たまに作業というか仕事をしている人を見かけるくらいだ。
農業総合試験場という名前の通り、農業に関する研究などをしている施設なのだと思う。
一応は、一般人に対しても門戸を開いてる。勝手に入っていっても怒られることはない。
民俗資料館みたいなのがあったのだけど、今回行ってみたら閉鎖されていた。展示物は他の場所に移したという張り紙があった。

道でカマキリがひなたぼっこをしていた。そろそろ寒くなってきて、カマキリにも厳しい季節だ。
トラクターにひかれるといけないので、道路脇の草むらに追いやった。

ヒョウモンチョウも秋までの居残り組だ。
ヒョウモンチョウも区別がつくのはツマグロヒョウモンのメスだけで、あとはよく分かっていない。これはツマグロヒョウモンのオスだと思うけど、自信はない。ミドリヒョウモンのメスは、もう少し緑がかっているはずだ。

キチョウもまだ生き残っていた。
だんだん花が少なくなるこの時期、セイタカアワダチソウは貴重なエサとなる。

落ち葉の色づきに秋の深まりを感じる。

こんなところに丸ポストがあるのは意外だった。丸ポスト好きの人でも、ここは盲点かもしれない。

農業総合試験場の写真はこれで終わりとなる。というものも、以前訪れたときに荒れ果てている印象だった散策コースは、全面立ち入り禁止になっていて踏み込むことができなかったからだ。なんと。
確かに5年前の時点で相当なものだったから、あれから5年の歳月を考えると、当然といえば当然のことだ。訪れる人もごく稀になっていたであろうことは想像がつく。農業総合試験場も、わざわざお金をかけて直すまでもないと判断したのだろう。
しかし、残念だった。もう二度と見ることはできないに違いない。
かろうじて、桜の園は立ち入り可能だったので、春は多少なりとも訪れる人もいるだろう。少し歩いてみたら、踏み跡があったから、近所の人の散歩コースになっているのかもしれない。
そんなわけで、今回もまた、私の農業総合試験場紹介は中途半端な形になってしまった。せめて立ち入り禁止になる前に再訪してちゃんと写真を撮っておきたかった。

リニモ風景。リニモもまだ一往復しか乗っていない。
街路樹のイチョウがだいぶ黄葉してきた。

道に迷っているとき、たまたま見つけた廃バススポット。
ここはなかなかにすごかった。

市バスだったようだけど、だいぶ古い型ではないか。色落ちと錆びで原形がよく分からない。昔見たやつなのか、それより前のものなのか。
近くには長久手車庫があるけど、あれは名鉄のものだ。どうして市バスがこんなところに集められて朽ちているのだろう。

それにしても、かなり惹かれる光景で、たくさん写真を撮った。
違う光のときにまた撮りにいきたい。

道に迷うと思いがけない発見や出会いをすることがある。必ずしも時間のロスというだけではない。旅先でも、迷うことも旅のうちと思っている。

これも廃風景。閉鎖した店先は、花と雑草の住み処となっている。

人が住まなくなると建物はすぐに傷むし、植木は生きていけない。
人と生き物は、共生関係にあって、どちらも互いを必要としている。
主のいなくなった店は、主人をなくしたペットのような悲しさがある。