
プレイしたいけど時間がない。時間がないけど遊びたい。どうしよう、ファイナルファンタジー12。どうする、私?
一週間迷って、結局買ってしまった。どうせやるんだし、いつかやらないと気が済まないなら早い方がいいじゃん。もしかしたら明日死んでしまうかもしれないんだし。などと自分に言い聞かせつつ。
始めてからまだ2日目、プレイ時間も3時間程度で感想もないのだけど、第一印象としては思ったほど悪くない、というものだった。というのも、レビューでの評判があまりにも悪いので、かなり警戒していたのだ。どうやら今のところそれは杞憂に終わりそうだ。
まとまった時間は取れそうにないから、毎日ちびちびやっていくことになるだろう。ここからは人の批評にとらわれず、自分自身楽しんでプレイしていきたい。出来がよかろうと悪かろうと、自分が楽しめればいいんだから。
ファイナルファンタジーの第1作目が登場したのは1987年、スーパーではないただのファミコンの時代だった。19年前、もうそんな昔になるのか。当時のことはあまりはっきり覚えていない。FF1は当然リアルタイムでやったはずだけど、印象として残ってないということはそれほど面白いと思わなかったのだろうか。
翌年のFF2、1990年のFF3と、これもプレイしている。そのときは楽しんでやっていたに違いないけど、どういう内容だったか思い出せない。ただ、みんな大好きなドラクエが私に合わず、FFの方が好きだと思っていたのは覚えている。
プラットフォームをスーパーファミコンに移して91年に発売されたFF4は記憶に残っている。これはとても面白かった。スーパーファミコンならではの映像や表現に当時は驚いたものだ。
しかし、最初の頃は1年に1作くらいのペースで発売されていたのか。現在ほど映像に凝っていないとはいえ、今では考えられないことだ。それだけ当時のスクエアにとってこのシリーズには力を入れてもいたんだろうし、命綱でもあったのだろう。
92年FF5は途中で力尽きて放り出し、94年のFF6はゲームから離れていた時期でやってない。それがいまだに少し心残りとなっている。
衝撃だったFF7。これは忘れることができない。97年にプレイステーションで発売されたこれを始めてやったときくらい驚いたことはなかった。ゲーム映像もついにここまで来たかと、昔からゲームをやってきた人間にとってFF7は非常に感慨深い作品だった。
FF8、FF9は、FF10のあとからになる。どちらも割と最近なので内容も覚えている。両方面白かった。
FF10については、感動が大きすぎて上手く語れない。賛否両論あったけど、私はあのエンディングに完全にノックアウトされた。ゲーム本編はあれを見るための長い前フリだった。FF10は、とにかく大好き。それでいい。
それだけに、あの感動よ再びと願ったFF10-2は残念だった。
FF11はオンライン専用ということでやってない。やれば楽しかったんだけろうけど、タイミングを逃した。
私を育てのは、本と映画とゲームの三本柱だ。それは間違いない。中でもゲームが一番つき合いが長い。本を読むようになったのは大学に入った19歳からだし、映画をちゃんと観るようになったのは24歳から、それに対してゲームは13歳からだ。永遠のライトプレイヤーだけど、これからもこのつき合いは細く長く続けていきたいと思っている。
私がゲームに求めているものは、本や映画と同じく感動に他ならない。爽快感とかそういうのは求めてる本質じゃない。ゲームには本や映画とは違う、こちらからの働きかけで向こう側の世界が動くという面白さがある。たとえそれが予定調和だったとしても。
これまで一体どれだけの時間をゲームに費やしてきただろう。それを考えるとちょっと恐ろしくもある。遊んだゲームも、FM-7、X1の時代から数えて数千本になってるだろう。マイベストテンなんていうはっきりしたものはないけど、思いつくままに好きな作品を挙げてみると……。
「クーロンズゲート」、「Noel」、「サクラ大戦」、「FF10」、「PHANTOM OF INFERNO」、「DESIRE」といったあたりが思い浮かぶ。あまり共感を呼びそうにないラインナップだけど、私にとっての感動点はこのあたりにある。
そんなわけで、春なのにFF12の私。しばらくは写真を撮りに行く時間さえ作れないかもしれない。桜が満開になる頃までには終わらないだろう。
もし明日以降、ブログの内容が薄くなったなぁと感じたら、さてはこいつ、FF12に夢中になってやがるな、と思ってください。たぶん、その通りです。