
ヒグマと接近遭遇も、動物園のガラス越しとなると互いに緊張感はまるでない。もしこれが自然界だったら、この写真を撮った直後に私は絶命してるだろう。死んだふりも間に合わない。というか、死んだふりってクマには効かないらしいではないか。よっぽど満腹ならともかく、死んだふりで助かる確率は低いと思う。クマの目をじっと見つめて、ミリオネアのみのもんたに負けないくらい溜めて、クマが逃げたら正解! 襲ってきたら残念~、と言おう。ライフラインは残ってないのか?
しかし、クマは本来それほど凶暴な動物ではない。人を見たら何が何でも襲うとかそういうことは決してない。警戒心がかなり強いし、向こうだって人間が怖いのだ。襲うときは子供を守るためとか理由があるわけで、襲われる原因は人間の方にもある。
よくよく顔を見てみるとかわいい顔をしている。つぶらな目にパンダのような耳、舌は猫みたいだし。パンダがかわいいと思えるなら、クマだって同じように思えるはず。ムツゴロウさんなら野生のヒグマにだって抱きつけるだろう(できるだろうか?)。
日本には2種類のクマがいる。本州にいるツキノワグマと北海道のヒグマだ。写真のクマはヒグマで、北海道にのみ生息している亜種で、正確にはエゾヒグマと呼ばれている。ヒグマとツキノワグマと比べると、ヒグマの方がかなり大きくて、凶暴さは互角、人家の方に下りて家畜や人を襲ったというニュースはツキノワグマの方だ(本州の場合)。
元々はヒグマも本州にいたことが化石から分かっている。本州から姿を消したのは、地球の温暖化が関係してるのではないかと言われている。クマというと山の中というイメージが強いけど、ヒグマは草原のクマで、寒いところの方が好みらしい。かつては数万頭いたとされるヒグマも、明治以降北海道の開発が進み、近年は2,000~2,500頭くらいになっているそうだ。
オスは200から350キロ、メスで100から150キロになり、日本の陸上生物の中では最大となる。
食べ物は肉食オンリーというわけではなく、雑食で肉よりも植物を食べる方が圧倒的に多い。毎日鹿や鮭をとって食べてるわけではない。
北海道事情にあわせて、11月から4月くらいまで冬ごもりをする。それぞれ単独で。冬眠のように完全に眠ってしまうわけではなく、浅い眠りの中にあってときどき起きたりもするらしい。メスはその間、2年に1度くらい、1頭から3頭の子供を産む。冬ごもりの間は何も食べない。だから、春目覚めたばかりのクマは意外と弱い。このときに襲われた場合は助かる可能性がけっこうあるそうだ。夏から秋にかけてのクマは強すぎて勝ち目がない。5月くらいに子グマを連れている母グマはものすごく凶暴なので近づかないのが身のためだ。
クマに出会ったときはどうすればいいのか、というのは昔からいろんなことが言われてきた。しかし絶対的な正解はないというのが実情のようだ。やってはいけないこととしては、まず大きな声を出したり音を鳴らせたりしてはいけないというのがある。脅すつもりがかえって興奮させてしまう可能性が高い。背中を見せて逃げるのはもっとよくない。敵に背を向けて逃げるのか臆病者め、とかそういう問題じゃなく、野生は基本的に逃げるものを追いかける習性があるから。クマはいざとなったらものすごく速いし、泳ぎも上手で、若いヒグマは木登りもできるので木に登るのも危険だ。食べ物を投げ与えるといいとも言うけど、これはかえってなついてしまう恐れがある。もっとよこせと来たら逃げ切れない。
結局どうしたらいいのか私にも分からない。とりあえず、みのもんた戦法でいくしかないだろうと個人的には思う。ダメなら、輪島の蛙跳びを試してみたい。ヒグマに会う確率は北海道へ行かない限りないとしても、山歩きはするからツキノワグマに出会う確率はゼロとは言えない。一生出会わなくて済むものならそう願いたいけど、一方では遠くからなら見てみたいという思いもある。そのときはきっと、恐れよりもまず感動が先に来るんじゃないだろうか。動物園で見るクマと野生のクマは、テレビで見るタレントと実物のタレント以上の差があるに違いない。
21世紀、これだけ文明も環境破壊も進んだこの日本でも、まだこれほど大きな野生の動物が生きているというのは、すごく嬉しいことだ。今でこそ人は大きな顔をしてるけど、本来は動物と同じように地球に間借りしてる生き物に過ぎなくて、立場の違いはなかったはずだ。それを思うと申し訳ない気持ちになると同時に、それでも生き延びてくれてありがとうとも思う。ようやく人間も地球環境ということに目覚めた今、向こう100年が過去100年のようになることはないと信じたい。
人間は環境の一部であり、人もまた環境の変化にあわせて生きていくしかないか弱き動物でもある。温暖化が進んでも、氷河期になっても、絶滅の危機にさらされる。繁栄も永遠ではない。今の生態系がどこまで続くかは分からない。ただ、今はまだ絶望するにはあたらない。たくさんの絶滅した生き物に思いを馳せつつも、多くの生き物が共に暮らす今の地球が私は好きだ。生き物たちの大切さに気づいてなかったかつての時代よりも。