初めてじゃないけど初めてのような二見浦の夫婦岩

観光地(Tourist spot)
二見浦-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 答志島をあとにした私は、二見浦(ふたみがうら)へとやって来た。
 二見浦へ行く目的は、ほとんどの場合、夫婦岩(めおといわ)を見るためだ。けど、夫婦岩を見に行くとは言わず、二見浦へ行くと言う。夫婦岩以外に二見浦に何かあるかといえば、特に何もない。観光地だから、お土産屋やホテルなどがあるとはいえ、泊まりがけで行くようなところでもない。行くとすれば、水族館の二見シーワールドか、ちょんまげワールドくらいのものだ。
 東隣が鳥羽で、西へ行けば伊勢神宮がある。そのあたりとセットで訪れる人も多いのだろう。私のように答志島と組み合わせるという手もある。
 二見浦に着いたときは、もう日没が近い時刻だった。太陽は雲に隠れて姿を見せず、空は期待したほど焼けなかった。それでも、穏やかな二見浦らしい海を撮ることができたから、これはこれでよかった。
 正面遠くに見えているのは、知多半島だ。もう少し右を見れば、渥美半島が見える。

二見浦-2

 夫婦岩の存在はかなり古くから知られていたようだ。
 二見は伊勢神宮の海の入り口ということで、古来から神聖な場所とされてきた。
 二つの岩の間から昇る太陽を日の神(天照大神)に見立て、それを拝むための遥拝所を作ったのが神社の起源とされている。
 それと、夫婦岩から700メートルほど沖合の海中に、猿田彦ゆかりの興玉神石というのがあって、それをご神体とした。夫婦岩は鳥居の役目をしていた。
 のちに奈良時代の僧・行基が興玉神の本地垂迹として江寺(えでら)を創建して、境内に鎮守社として興玉社(おきたましゃ)を建てた。祀られたのは、猿田彦だ。
 それとは別に、天の岩屋の中に三宮神社(さんぐうじんじゃ)というのがあって、そこでは宇迦御魂大神(ウカノミタマ)が祀られていた。
 ウカノミタマは、いわゆるお稲荷さんだ。京都伏見稲荷大社など祭神として知られている。けど、ここでは伊勢神宮外宮の祭神である豊受大神の別名とされている。
 現在の二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)という名称になったのは、明治43年(1910年)のことで、興玉社と三宮神社を合祀した。
 古い記録では、三狐神社(さんぐじんじゃ)という名称も見られるというから、やはりお稲荷さんの関係があったようだ。
 昔は、夫婦岩という呼び名ではなく、大きい方を立石、小さい方を根尻岩と呼んでいた。注連縄を張って夫婦岩と呼ぶようになったのは、江戸時代以降のことのようだ。
 古来、伊勢神宮に参拝するに際して、この二見浦で禊をして身を清めていくのが習わしだった。
 現在でも、式年遷宮などの行事では、二見浦で参拝してから行く。
 二見の名前の由来は、伊勢神宮から流れてくる五十鈴川(いすずがわ)が、二手に分かれて伊勢湾に流れ込んでいることから、二水(ふたみ)と呼ばれ、のちに二見に転じたといわれている。
 二見は、五十鈴川の河口にできた三角州だ。

二見浦-3

 電車で一緒だったドイツ人カップル。夫婦岩は外国のガイドブックにも載っているらしい。

二見浦-4

 神社の境内は、カエルづくしとなっている。
 サルタヒコの使いがカエルで、ここをお参りした人が願いが成就するとカエルの置物を奉納したことから、神社はカエルだらけになってしまったらしい。
 サルタヒコは、ニニギノミコトたちが天孫降臨するときに、頼まれもしないのに道案内を買って出た地上の神だ。
 天孫系の神々がオオクニヌシたち地の神の国を乗っ取ったとするなら、サルタヒコは天チームに寝返った神と言えるかもしれない。これからの時代は、やっぱ、天孫系でしょ、ってな感じで時代を先読みできたとも言える。
 カエルは、無事カエルとか、なくしたものがカエルなどと語呂合わせができる縁起のいい生き物でもある。そういうこともあって、この神社ではカエル様として人気を博している。

二見浦-5

 夫婦岩を訪れたのは実に久しぶりのことだった。子供の頃、親に連れられてきて以来で、当時の記憶はほとんどない。
 何年か前に、直前まで来て、訪れることなく帰ったので、ずっと気にはなっていた。
 だから、きんと訪れるのは初めてのようなものだった。
 意外と雑然としているという印象を持った。もっと沖合に、夫婦岩だけがポツンとたたずんでいるようなイメージを持っていたけど、実際は海岸近くに突き出ているいくつかの岩の内の二つに過ぎない。注連縄が張られていなければ、ただの岩だ。
 それと、夫婦というには、奥さんの方の岩が小さすぎる。これじゃあ、親子岩だ。夫婦というには無理がある。

二見浦-6

 拝殿は、なんとも今どきの姿をしていて拍子抜けした。近代的というか、まるで歴史を感じさせない。昭和の再建だろうか。
 伊勢神宮と深い関わりがあるところだし、式年遷宮のときの古材をもらえなかったのか。木造の神明造で建て直して欲しい。

二見浦-7

 ここにもカエルがいる。頭の上に小さいカエルも乗っている。

二見浦-8

 遥拝所。昔はこんな感じだったんじゃないだろうか。
 とりあえず鳥居があれば充分な気がした。
 夏至の前後4ヶ月は、夫婦岩の間から昇る朝日を見ることができる。夏至の前後2週間は富士山頂付近から登るというので、この時期を狙って写真を撮りに訪れる人も多いという。
 冬至の頃は、月が昇るのを撮りに来るカメラマンが多いそうだ。

二見浦-9

 この角度からはあまり見ない。
 実は小さい方の岩は、大正7年の台風で、根元からポッキリ折れてしまった。大正10年にくっつける修理をしたそうだけど、その間の3年間はどうなっていたのだろう。折れたまま転がっていたんだろうか。
 くっつけたはいいけど、もともとの角度から変わってしまったというのはどういうことか。
 夫婦岩の奥さんは、あるとき心が折れてしまって、家出をして、3年後にちょっと違う姿になって戻ってきた。夫婦にはいろんなことがあるという教訓か。
 絆というのは、互いを縛る鎖のようなものでもある。注連縄もそんなふうに見えてきた。

二見浦-11

 神社の境内はこのあたり一帯で、海にある夫婦岩も境内というから、少し離れた場所にある龍宮社も境内社ということになるのだろう。
 ここもやけに新しい。昔の記憶がないのが残念だけど、いつこんなふうになったんだろう。
 祭神は、海の神である綿津見大神(ワタツミ)。


 夕暮れ時の静かな二見浦でまったりしているところへ、ワラワラワラとどこからともなく中国人がわいてきた。
 なんだ、なんだ、と思っていると、夫婦岩周辺は50人近い中国人によって占領状態になった。大声で飛び交う中国語に、夫婦岩はたちまち異空間になってしまったのだった。
 恐るべき、中国人パワー。バブルの頃の日本人を見るようだった。

二見浦-12

 中国人から逃れるように、少し離れた場所へとやって来た。
 近くで三脚を立てて夫婦岩を撮ろうと思っていたのだけど、状況がそれを許さなかった。帰りの電車の時間も迫っていた。
 長時間露光で二見浦の海と夫婦岩を撮る。

二見浦-13

 海で遊ぶ家族。
 だいぶ暗くなってきた。

二見浦-14

 二見浦に別れを告げる。
 また10年後とか、20年後とかに再訪できたらいい。
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コメント
  • いやぁ懐かしい
    2010/09/10 09:38
    27年前の10月に、家内と訪れたところ。
    まあ、今日まで折れずにきましたが・・・

    30年目にまた行ってみますかな。
  • 無事カエル
    2010/09/10 23:06
    ★建築屋さんさん

     こんにちは。
     夫婦岩を奥さんと行ったんですか。
     27年前というと、あのあたりもだいぶ変わったでしょうね。
     機会があれば、再訪してみてくださいね。
     満願ガエルが待ってます。(^^)
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